精神科病院の医事課員的「#8月31日の夜に」
今年もこの季節がやってきましたね。
2017年から始まっている、NHK「#8月31日の夜に。」ですが、私が初めて見たのは2019年でした。番組自体は2018年からあるのは知っていましたが、見るきっかけになったのは、以前に書いた「精神科病院の医事課員のオススメ」で最初に挙げたamazarashiが出演する(たぶん地上波初だったと思う)ことを知ったからです。
我が子にとっても一大イベントのようで、夏休み終盤の慌ただしさや面倒そうな表情は「今も昔も変わらないなぁ」という感じで、精神科病院で働いていているとは言え、大人になって夏休みというのは「懐古するもの」となっていました。
そんな私が昨年の番組を見て、これまでの夏休みの懐古では浮かんでこなかった、当時の切なさや苦しさが思い出され、現代の子ども達と共感すると共に、なんとも表現しがたい悲しさに襲われ、amazarashiが歌った「僕が死のうと思ったのは」の歌詞も相まって、一人で涙したのを覚えています。
今年4月からnoteを始めて、数も少なく気まぐれに書き綴っている中で、この企画があることを知ったので「せっかくだから少しでも役立てられれば」という思いで、精神科病院の医事課員として「#8月31日の夜に」に関わるような内容を書いてみたいと思います。
いつものことながら、個人的な主観や経験に基づいて書いているので、必ずしも皆さんのものや公的データなどと一致するとは限らないです。その点はご了承ください。
・長期休暇前後に10代の受診数は増える
あくまでも当院(さらに言うなら個人的)の印象ですが、インテークや初診時のカルテなどを見ていると、夏休みに限らず長期休暇全般に言えることだという印象です。また、不登校が多いという訳ではなく、学校に行っている人もいれば、普段は周囲にそういう姿を見せていない人など、人によって様々です。
全てを網羅しているわけではないので、覚えている主だった受診理由を下記に挙げます。
・新学年や新学期、新生活などが始まるのが怖くて
・長期休暇中(GWも含む)に友達関係がこじれて
・先生やクラスメートと話が合わない、会いたくない
・先生やクラスメートの視線が怖い
・学校に行くと体調不良になる
・家から出られなくなった
・誰かが私の噂(だいたい悪評)をしている
・家族との関係がうまくいかない
よくメディアや学校では「なぜそうなってしまったのか」という原因を追究するのを見聞きしますが、原因が無いことも少なくありません。原因があっても、周りの人からしたらなんてことはない些末な(本人にはそれがとても重要に感じている)事が多いです。
周囲の人たちが「大した事じゃないから気にするな」と笑い飛ばすと、普段であればサラリと流していたはずなのに引っかかってしまい、流れが徐々にせき止められるように思考が悪循環してしまいます。
そんな時に周囲の人たちは、賛同も否定も批評もしないで、しっかりと話を聞いてあげて、一緒に考えて、本人が自身で何らかの答えを導き出せるように寄り添ってあげることが大切だと思います。
・やっぱり「精神科」はハードルが高い
以前書いた「精神科は『受診するまで』が難しい」でも触れましたが、「精神科受診」というのは、自分自身にも周囲の人たちにも、なかなかの大きなインパクトを与えます。いくら「最近は昔に比べたら受診しやすくなった」とは言え、その差は微々たるものででしかありません。
特に学校生活や10代の生活環境においては、大人のそれより何倍ものインパクトになることが容易に想像できます。本人も周囲も感受性が強いため、想定以上の影響が出ることも少なくありません。
とはいうものの、やっぱり「精神科」というネームの強さは強力です。当院の受診までの流れを見ても、最初から精神科に相談するケースは少ないように思います。精神科にかかる前に、障がい者相談支援センターや保健所、学校に来ている相談員や保健師など、段階を経て来院される方が多いです。良く言えば「それだけの支援がある」ということですが、逆を言うと「直接は相談しづらい」ということでしょう。
ですが、個人的には(精神科病院で働いているというフィルターがかかっているかもしれませんが)自分自身がor家族などの周囲の人たちが「しんどいな」という気持ちが強くなってきたのであれば、早めに受診した方が良いと思います。「耐えきれない」というところまで行くと、経験上、それは赤信号サインと考えられるからです。
・「治す」のではなく「付き合う」
これも前述の「精神科は『受診するまで』が難しい」で触れていますが、精神疾患というのは治らないケースがほとんどです。では「なぜ受診したり、薬を飲んだりするのか」というと、完全正答は難しいですが「症状を抑えて精神疾患とうまく付き合う方法を見つけること」という言い方が分かりやすくて近いと思います。
今回の内容に沿うならば、受診した方がうつ病や発達障害と診断されると、薬を処方されることがあります。それらは直接その病気を治すものではなく、症状を抑えたり、関連して発症する症状を軽減したりするものです。例えるなら、風邪を治す直接の薬はありませんが、発熱や咳、鼻水などを抑える薬が出るのと似たようなものです。(いや、ちょっとそれはさすがに違うかな…?)
ですから、診察中の会話でも「どうすれば日常生活を無理なく送れるのか」ということを一緒に考えていきます。これは医師だけでなく、看護師やPSWやコメディカルスタッフなど、関わる人たち皆が同じ目的に向かって対応します。ただ「○○しましょう」というような提案をするのではなく、あくまでも自発的に考え、可能な範囲での方向性を定めます。
トライ&エラーで軌道修正しながら、本人にとってベターな生活が送れるように寄り添い、症状の程度に個人差はありますが「一人(と家族)だけでもやっていける」というところまで来れば、とりあえず終診になります。そのままうまくいけば受診することはありませんし、悪くなれば再度受診することになります。その辺は身体疾患でも同じことですよね。
人によって好みが異なる様に、気持ちの切り替えがうまく出来なかったり、人とあったり話したりする事が苦手だったり、周りの人と考え方が合わなかったりする人は、一定数存在します。
それを「マイノリティ」とされるのか、「変わり者扱い」とされるのか、「色々なものの1つ」とするのかで、本人も周りの人たちも、少し先の未来から変わってきます。
「8月31日」のような節目が怖いのであれば、誰かに頼ってください。
「8月31日」のような節目を怖がる人がいたら、話を聞いてあげてください。
難しい事をする必要はありません。
ちょっと互いに寄り添うだけで、少しだけでも何かを変える事ができるんじゃないのかな…。
そういう期待も込めて、今回の話のまとめとします。