元を取ったか思考
食べ放題のシステムを好まない。
家族で食べに行くなんて時も、
まず候補にもならなかった。
今思えば、私が嫌いだったから、
家族の誰も敢えて言わなかったかも知れない。
ホテルの朝食がバイキング方式の場合は、
もちろん利用するし、それなりに楽しむ。
でも、なんだか
本当に印象に残らない食事になる。
一品、一品をそこの厨房で、
誰かが作っていると思えなくて、
真空パックになったお惣菜とかお漬物、
だし巻き卵、焼き魚…etc.
大袋で売っている業務スーパーの絵面とと共に
あれを皿に出しているだけなのでは?
と、疑念を抱いてしまうのである。
そうなると、食べに来てるのではなくて、
食べさせられている感覚にさえなる。
あくまでも、悪い方の妄想。
私より明らかに年上の女性が、
てんこ盛りに何度も取りにいっているのを
驚きとか、心配とか、感心とか、
色んな感情で見ている自分がいる。
贅沢言ってんじゃないよ、
って話ではあるんだけど、
美味しいものを少量が、やっぱり好きだな。
元なんて、絶対に取れないのに、
元を取ろうと思ってしまう。
嫌だ、嫌だと言いながら、欲はある。
与えられた量を食べるのと、
好きなだけ食べるのは、
同じお腹いっぱいでも、満足感が違う。
食べ放題では、
まだ、食べていないのがこんなにあるのに、
コレだけしか食べられなかった…と
思ってしまうから、どれだけ頑張ってたくさん
食べたとしても、満足しないのだろうな、
たぶん。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
食べ物以外でも、
私の「元は取った」思考は現れる。
時々、服を整理してまとめて処分する。
破れや伸びたものは言わずもがな、
買ったけど、全く着ない服(以外とある)、
もう、かなり長く着た服
処分の対象になるのはこんなところ。
この中で、"かなり長く着た服"というのは、
上着、ジャケット、羽織もの
が多くを占めている。
コレらは軽くて着心地が良くて、
自分に似合ってる、お気に入りで、
10年とか、長ーく愛用してたりするのだが、
ふと、
もう、充分着たし元は取ったな。
と思い、かなり処分してしまった。
最近になって、すごく後悔している。
もちろん、歳はとっているし、
体型も変わって来てるから、
買った時みたいな着こなしは出来ない。
取っておいても着なかったかもしれない。
私が後悔しているのは、
もう似合わないとか、もう着ないではなくて
"元は取った"
と思ってしまったことなのだ。
そんなことは、どーでも良かったのに。
お気に入りに、元は取ったなんて思考を
持ち出すべきではなかった。
長く使っているものほど、
絶対に手放してはダメだと、強く思う。
普通、手放さないか…😭
処分したことも忘れていたのに、
急に思い出して後悔したのは、
ちょっとしたきっかけがある。
"お気に入りを大事に長く使う美学''
を謳った松浦弥太郎さんのエッセイを
読んだからだ。
買う時も、捨てる時も、
自分の軸が定まっていない故の後悔。
50過ぎた、いいオトナなのになぁ。