自分らしい贅沢
デパ地下
そんなに昔から使っていた言葉ではない。
ような気がする。
デリは、惣菜だったし、
ベーカリーや、ブーランジェリーは、パン屋
カフェだって、喫茶店だった。
田舎育ち、田舎在住の私にとって、
デパート自体が、
ちょっとした博物館みたいな、
行っても見るだけで、買うものがない
(実際には高くて買えない)
子供の頃は、そんな場所だった。
小学生の頃、
松坂屋でエレクトーンの発表会の服を
買ってくれた時は、本気で自分ちの
家計を心配した。
大人になって、お金を手に入れても、
やっぱり普段使いで
何かを買うような場所ではなく。
買いに行く場所ではなく、
やっぱり見に行く場所なのである。
ごくたまに、用事で名古屋へ行く。
せっかく来たし、デパ地下にでも寄って
美味しいもの買って帰ろうかな、と
思って覗いてみる。
…何か、身分不相応な値段で、
ウロウロして疲れ切って何も買わずに
帰路につく。
あれを普段使い出来る人は、
都会に住んでいて、
きちんとした身なりで、
その値段の価値、味の良し悪しが
分かる人、と勝手なイメージを持つ。
デパ地下って、つくづく
"都会の文化"
だなぁ、と思ったりする。
奇跡的にデパ地下で何かを買えても、
これ一口が〇〇円〜!?なんて
思考になる私は、
地元スーパーの量り売りサラダが
たまの贅沢にはちょうど良い。
満足度が高いから、
成城石井はたまーに利用する。
自分がMAXに嬉しい贅沢って、
一万円札を握りしめて
あまりにも高いものを買う事ではなくて、
手の届く何となくの範囲のモノだなぁ、
とつくづく思う。
なんだかんだ言って、庶民である私は、
ちょっといい食材を使って家で料理するのが
一番自分らしい贅沢。
買う、食べる、に加えて、
作ることも味わえる。
人によるだろうけれど、
「本当の贅沢」
って、なんだろう?
改めて考えてみる。
自分で作る、健康的で安全な食事とか
一緒に食べる人がいることとか、
自分が美味しく食べる事が出来る現状とか、
そもそも、食べたいものを作れること。
いい話にまとめるつもりじゃなかったのに、
こんな事しか思い付かない。
こんな考え方だから、
オットと何か食べに行こうと話していても、
なーんか食べたいものが
決まらないとか、思い付かないとか、
そんな状況によく陥る。
結局のところ、
毎日、結構な贅沢をしているのかも
知れないぞ…
このまま、いい話で終わろ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?