『何が与えられているかではなく与えられたものをどう使うか』
タイトルが腑に落ちなかったので当初とは変えました。本当に言いたいことはこれだったかも。
noteをはじめて間もないけれど……
普段は人に言うようなことじゃないような本当の気持ちや、私はこうあるべきだという思いを綴ったりする内に、自分に起きてることを客観視出来るようになってきた。
私の中のエンジェルとデビルが行ったり来たりしてふわふわしているので、そんな時の心の整理にとても良い。笑
そして自分の性格の悪さに愕然とする。
周りからは私は素直だって言われるけど本当は素直なんかじゃないの。騙してごめんなさい。
↑↑↑前回の記事にも書いたけど、
結局、夫以外に心が浮つくのは自分の目の前の問題から目を逸らしているのだということ。目の前の問題とは夫婦関係に関する溝、そして自分に対する劣等感である。
・ほぼせっくすれすでした(産後~出産そのあとも)
・風俗に行かれることや浮気された事がトラウマでした(そこから相手への服従心が失われました)
・産前もそうだけど産後なんてより一層自分の身体に自信が持てませんでした(年齢も含めてね)
・夫が家族になってドキドキがなくなりました(お互いにね。)
・自分はこのまま何も成し遂げない内に死んでしまうのではないか(本当にやりたい事に手をつけられていない)
・一生、『母親と妻』の役割だけで終わりたくない。(今この時を逃したら歳を重ねて後悔してしまうのではないか?)
こんな思いが堂々巡りしては『傍から見れば順風満帆な生活』の中、忙しい子育てと仕事に追われながらなんとか生きていくのに必死だった。
そうやって『なんとなく』いまここにいる自分がいた。いつだって私は楽な道へ行こうとする。
そんな私だって少しは現状を変えたくて、アドラー心理学で有名な『嫌われる勇気』など様々な本を読んだ。本はいつだってヒントをくれる。
その中で私が好きな言葉は『何を与えられたかではなく、与えられたものをどう使うか』という言葉。
まぎれもなくこれが真実であり、強く生きるための考え方だと思う。
だからこそこれが結構難しいのだ。
まさに今私は、『何を与えられたか』で考えていた。だから逃げていた。簡単に気持ちよくなれる道に。
このままではいけない!
『与えられたものをどう使うか』
そう考えていけば悩みのほとんどは解決出来るはずだ。不満を言う方がカンタンなのだ。被害者になっていればいいのだから。でもそれで幸せ?
答えは『NO』だよね。
本当にやりたい事、こうしたいって思いがあるのなら、そうなる為の努力をするしかない。決して楽な道を選んでは行けない。難しい道を行かなくては人は成長しない。ただ不満を言いながら、癒してくれる人を見つけては、気持ちよくなって、またそれを繰り返し足踏みしているだけ。
そんなの恥ずかしいよね。
きっと尊敬する私の夫と一生一緒にいるためには、私自身が強くなって『本当にやりたい事』のために努力していかないといつか見切られて捨てられてしまうのがオチだろう。だって彼は『努力』できる人だから。彼について行きたいと心からそう思ったあの時のことを私は忘れてはいけないのだ。