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母と同居に至ったどうでも良いワケ

いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

母があちらの世界へ旅立って3か月が経ちました。
まだ3か月…
もう随分経った気がしています。
1日が長く感じるのでしょうか…

ここのところ、過去を思い返す事が多かった気がします。(だから長く感じる?)

母が胃癌と分かって、食べられなくなった時の
「なんでこんな事になったんだろう… 」
と、悲しげに言い放った言葉が思い返されます。

「なんでだろうね…運命かなぁ…」と答えるしかありませんでしたが、

母が医者嫌いだった事
健康に自信過剰だった事
大腸癌で掛かった病院が胃癌を見逃したことが原因だったと思います。

そして、今自分を見つめ直すと、
なんで今自分は母の為に借りた家にひとりで居るのだろう…
とふと考えます。

今の生活が嫌な理由ではありません。
自然の中できまぐれに相手をしてくれる猫との自由な暮らしはある意味贅沢でもあります。

でも、なんでこうなった??

もともと母はわたしの姉と暮らしていました。
本当は父と2人で北浦湖畔で余生を送るため小さな別荘を購入しましたが、父が定年を前に他界。
仕方なく、母は姉の家と別荘を行ったりきたりする生活を始めました。
そして、姉の夫が海外赴任で長期不在になると、孫たちの面倒を見る為に姉にお願いされ、都内の姉の家に同居を始めました。

姉の夫がいない間は天国だったでしょう。
ふたりで美味しいものを食べに行列に並んだり、旅行に出かけたりしていましたから。

そして、月日が流れ姉の夫のが帰国すると、家庭内がギクシャクし始めます。
それもその筈、都内の超狭小住宅住まいでしたから、家族3人と高齢母の同居は傍からみても難しいと思わざるを得ませんでした。

しかし、バブルが弾けそうな頃、姉の夫が早期退職をしました。
私は、退職金で郊外に新居でも建てて快適な暮らしにするだろう… と考えていました。
ところが、彼はお金の使い方が違っていました。
家2軒くらい建てられそうな退職金は、投資と知人へ貸すこと、大好きな競馬へ当てられました。

このときばかりは、人格を疑いましたよ。

そして、当たり前の事ですが、母の事が邪魔になり、姉に泣きつかれ、わたし達の家に引き取る事になりました。
名義上は娘と娘の夫の家です。

姉といえば、若くしてかなり年上の人と結婚したせいか、ほぼ夫のいいなりです。(今も)
洗脳されているのではないかと思うくらい、自分の意見と言うものがありません。
昔はそんな姉ではなかったのに…
今は、夫に言い返せはしませんが、「早く◯んでくれ…」とよく口にしています。
離婚経験のある私には信じられない境遇です。
我慢強いとしか言いようがありません。
でも、妹に頼るのは平気なのです。

母を引き取る前に一度だけ親族会議をしましたが、
「俺と◯◯(同居する次男)のメンタルをどうしてくれるんだよ!」
と叫んだ姉の夫です。
無口な人って、いきなり大きな声でるよね〜。
何も対策をしなかった他力本願な彼の叫びに、呆れ果て言葉も出ませんでした🤷‍♀

この男には、何を言っても駄目でしょう。。。

そして、母を我が家に引き取りました。

気弱な娘の夫は、文句を一言も言いませんでしたが、母との生活がストレスなのはわたしも娘も感じていました。
まぁ、娘の夫には以前から気を使っていましたから、彼もそこの所は理解していたのだと思います。
何度も転職を繰り返したり、ややキレやすい性格なので、
彼の部屋を作ったり、子供がいるのに休日にひとりバイクで出かける事にも目を瞑っていますから。
我が家では、彼が家のローンを払ってくれているだけで良しとしています☺️

ただ、
子育てに口を出す母は、私の娘(母の孫)にとってもかなりのストレスとなっていました。
わたしは何も言えません… 板挟み、という立場にいました。

母にも部屋がありましたが、
耳が遠いのに補聴器をつけるのを嫌がり、テレビを大音量で観る。
これはご近所迷惑でもありました。

膝が悪いので階段の昇り降りに苦労する…。
(残念な事にお風呂と母の部屋が2階)

食事のメニューに文句を言う。

ビッグボスと言う自覚があるのか、何に対しても口を出す。

なんとかしないと、我が家までおかしくなってしまう… と言う、心配が膨らみました。

そんな中、コロナ禍に突入

当時、娘の夫は都内の多くの病院に出入りする仕事をしていたので、母の隔離を急ぎました。
北浦近くの別荘はボロボロで住める状態ではなかったので、近くにIHクッキングヒーターのある借家を探しました。
母の別荘をしっかり管理していれば住めたのに、何もして来なかったのが残念でなりません。
父が亡くなった時に姉に相続してしまったが為に放置されてしまっていました。

本当に腹の立つ事ばかりでした。

コロナがまん延してきて、茨城への移住を決めた事に、自分の夫には反論できない姉なのに、
茨城にいかなくていいよ。お宅で面倒見てくれたらいいから!と、私達には強気で意見してきました。

どうしてだろう… と不思議に思っていましたが、
当時母の通帳を握っていた姉は、家賃や諸々でお金を使われるのが嫌だったのでしょう。

後々、母のお世話を約束したわたしの娘に通帳を渡した時(わたしに何かあれば代わりは娘に)に、かなり使い込んでいたのが発覚して驚きました。

この時は、またまた人間不信に陥りました😔

年金の残高が… ほとんど残っていませんでした。

無いものは仕方ないです。
少しずつ貯めるしかありません。
そんなこんなで引っ越ししましたが、(引っ越しといってもほぼ身一つ)、前日に
引っ越しはキャンセルして欲しい、と母は娘に懇願していました。

そんな事は受け入れられる筈もなく、強硬突破しましたが、住めば京都で、しばらくすると
母は「埼玉には帰らない。」とまで言うようになっていました。

好きな畑も出来て、気兼ねなく好きな物を食べ、病院も近くに見つけられましたから、のんびり過ごせていたと思います。

そして…
今、わたしはひとりでここに居ます。
必然だったでしょうか✨

人生は予測出来ないものですね🌊
でも、確実に自分で判断してきた積み重ねで今があります。
運も少しは関係しているのでしょうけれど、それも自分の判断の一部かな。

これから先が不安でもあり楽しみでもあります🎶

とりあえず、日に何度も訪ねてくるキョロちゃんにご飯をあげるべく、ここにいないとね〜😆

ペット用自動自給餌器

たま〜の帰宅の為にこれ↑買いました。

自動自給餌器です。
ベランダに置きます。
他の野良猫やタヌキなんかに気づかれない事を祈ります🙏

長々お読みくださり、ありがとうございました。
m(_ _)m













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