ぼくは女の子に憧れている
ぼくはミスiD2021というオーディションを受けることにした。このオーディションは、現在も選考期間中である。
ぼくはいままで特になにも言及せず、
この「ミス」という冠がついたオーディションを受け続けている。
約2700人の中から約600人が選ばれて「カメラテスト」という選考に進むのだが、有り難いことにぼくはその選考に進むことが出来た。
ここでは元々1人あたり3分話せるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でオンライン開催になり、持ち時間も短くなり、1分になってしまった。
たくさんの女の子に紛れながら3分間もなにを話したらいいものかと思っていたが、zoom越しに1分間と言われると、
今度は少し短い気がした。
ぼくはまず、1分で話し終わる文字数を想定してみた。そしてその文字数に収まるように、頭にあったことを書き出してみた。
これが3分あったらどうなっていただろう。
例えば時間が無制限だったら。
全然違うことを話していたような気がする。
そんなことを思ったのだ。
だからこの話はちょっと長くなりそうだけれど、最後まで付き合ってもらえたら嬉しい。
まずはミスiDというオーディションについて説明する必要があるかもしれない。
ただ普通に説明してもしかたないので、これから説明するのはぼくにとってのミスiDだ。
ミスiDとは講談社が主催するアイドルオーディションである。
テレビでアイドルオーディションと言われていたからそう言ってみたけど、実際そうなのかは疑問である。
いきなり大きく脱線するが、講談社が主催するミスコンといえば「ミスマガジン」がある。
ぼくは松嶋初音ちゃんが審査員特別賞を受賞した「ミスマガジン2004」が好きだった。
一部では伝説と言われているミスマガ2004
5人それぞれのその後の活躍はもちろん、小阪由佳さんが、なにより松嶋初音ちゃんが好きだ。
アキハバラ@DEEPとラーメンズとエレキコミックがぼくのサブカルの入口だ。
2006年にタイムスリップしたら秋葉原を歩き回るだろうし、2007年にタイムスリップしたらラーメンズの本公演を観るだろうし、2008年なら井上雄彦最後のマンガ展に行くだろう。
そんなミスマガジンが2011年を最後に休止して、代わりに2012年からミスiDがはじまったのだ。
開始から4年目のミスiD2016で、審査員にエレキコミックのやついいちろうさんが加わった。
これにはびっくりした。
講談社のミスコンの中で「審査員特別賞の旦那が12年越しで審査員になる」という現象が起きていた。このときぼくは嬉しくてにやけた。
それまでも見ていたミスiDだから、この年も当然チェックした。翌年のミスiD2017まで2年間やついさんは審査員を務めていた。
その中でもぼくの印象に残っているのは、
ミスiD2017のグランプリである武田杏香さんにやついさんが送った選評である。
見た瞬間にこの子がグランプリだと思いました。凛と立ってる雰囲気。全てのレベルが高いのに憂いがある感じ。どこにいてもここじゃないと居心地の悪さを感じていたからこそ、じゃ自分で自分の場所を作るという決意した瞬間の輝き。これから全ての場所を自分の場所に変えていって欲しいなと思います。
心の底から羨ましいと思った。
「女の子羨ましい、ずるい」と思うことは、まあ山程ある。もちろん女の子になりたいとかそういうことを簡単に言っていいとは思ってないし、そういう訳でもない。
そうであっても感じざるを得ない「女の子羨ましい、ずるい」という感情が芽生える瞬間に、この選評を読んだときが含まれていることは間違いないだろう。
やついさんは芸人なので、芸人さんのネタを評価することは稀にある。ぼくはそういう場に何度か立ち会ったことがあるし、その度にワクワクしていた。
しかし、それはネタの出来に対する評価でしかなかった気がする。そもそも、ぼくは芸人さんが好きだし、リスペクトしているから自分がなれないことは百も承知だ。ネタも作れない。あんなすごいものには絶対になれるわけがないのだ。
しかしミスiDはどうだろう。
素人も出られるオーディションで、立ち姿を見られただけで(武田杏香さんは決してそれだけではないだろうけど)
「見た瞬間にこの子がグランプリだと思いました」なんて言われる可能性があるオーディションだった。
やついさんは間違いなく、自分の人生において1番影響を与えてくれた人だ。その人に存在自体を認めてもらえるようなことがもしあるのなら
ぼくは100回だってこの世界に生まれ変わってみたい。そんなふうに思った。
このように、ミスiDの選考委員は毎年変わり、選考委員にはいろんな人がいる。
他にもきっとたくさんの人達が見てるだろう。
だから、ぼくにとってのミスiDは「いろんな人に評価してもらえる可能性があるオーディション」だった。
ミスiD2021のエントリー期間は今年の5月31日までだった。選考は年末まで続くようだ。
まあいろんなきっかけがあってエントリーに至り、もちろん今まで受けたこともなければ、受けようと思ったこともなかった。だから最初は勝手がよく分からなかったんだけど
今年は例年とは違いエントリーした全員がネット上に公開されるということだった。
締切から少し経った頃に全員のプロフィールが公開された。
公開されたのだから黙っていてもしかたがない。ということで自分から公表してみたのだが、驚いたことにたくさんの応援をいただいた。
元々ぼくがSNSを通して素敵だなと思うひとにはミスiDを過去に受けたことがある人が多かったし。尊敬できる人もいる。それがきっかけにもなっていたので、その人たちから「頑張ってください!」「応援してます!」と言ってもらえるのだから嬉しいに決まっていた。
もしかしたら快く思っていない人もいたのかもしれないけど、まあそう思っていても言ってこないのだろうし、そこは想像力をあまり働かせないほうが幸せな気がした。
とにかく、たくさんの方に背中を押してもらえることができたのだった。
この発表の直後に仕事で一緒になった人が「今年こそ井手上漠ちゃんが出てくると思ってたんですけど、そしたらキクチさんが出てました!」と嬉しそうに言ってくれたのも覚えている。ぼくもそれは見てみたかったなと思ったりした。
エントリーすると、CHEERZというアプリを使うことができた。勝ち抜くためにこのアプリ上でポイントを獲得するのだ。
CHEERZについて一応調べてみると
「アイドル応援アプリ」と書いてあった。
それまでぼくはこのアプリの存在はなんとなく知っていたものの、インストールしたことすらなかった。ましてや応援する側ではなく、される側になるとは夢にも思わなかった。
いや、厳密にいうとこのルール説明がメールで送られて来たあとも「自分にも投稿する権利があるのか?」と疑問だったが。
結局のところ普通に使うことができた。
やついさんの言葉で「参加することが1番楽しむ方法だよ」というのがあったので、ぼくは使えるものは全部使って、とりあえずこのミスiDを誰よりも楽しんでやろうと思った。
そんなこんなでCHEERZに投稿していたので、ランキングでは(10グループに分けられたうちの1グループで)250人中50位くらいの結果で終わることが出来た。
これが選考結果に影響することはなかったけれど、応援してくれるひとがいなければこの順位になっていないのでぼくは嬉しかったし、とても感謝している。
正直「ボチボチだった」とも「自分でも結構すごいと思う」とも言える感じだけど、順位のことなのでどっちにしても角が立つと思ってなにも言わないんだけどね。
選考は進み、次はカメラテストだ。
話すことができる時間は1分。
大体は自己PRだとか、生い立ちだとか。
過去のカメラテストの映像がYouTubeで見られるんだけど皆そういうことを話してる印象だった。
でもぼくはどうだろう。
「ミス」なのにミスではないのだから、まずそれについて話さないと失礼になるだろうと思った。それは最初から思っていた。
その上で制限時間が1分になったということは、それ以外はなにも話せないなと思った。
とりあえず困った。
いつもの自分より早口で喋るのはしかたないとして、もうひとつ自分らしいエピソードを入れないと失礼だなとも思ったからだ。
そうやって考えはじめると難しかったけど、先述の「女の子羨ましい、ずるい」
という感情を軸に話してみたくなった。
そんなことを考えながら過ごしていたとき、ふと思ったのは「テレビがどうしようもなく大好きだな」ということだった。
深夜のバラエティ番組が好きだ。
くりぃむナンチャラ、キングちゃん、
ああいう番組で女の子がドッキリにかけられるのをよく見るけど、一様に戸惑っていたり、きょとんとしている。
そのリアクションが正解だということは分かっている。分かった上でなんだけど。
ぼくだったらあの状況はめちゃくちゃ楽しめてしまうんだよなと思った。
くりぃむしちゅーや、千鳥が目の前にいて、全力で面白い空間を作ろうとしてる。あの空間にいてみたいな。そんなことを考えていた。
でもあのポジションにメンズモデルとか、メンズアイドルはほとんど見たことがない。
ここに「女の子羨ましい」が生まれた気がした。だからこれを話そうと思った。
「あのポジションにいられるのが羨ましい」
カメラテストの様子が公開されるかどうかは分からないけど、こんなような話をした。
結果として上手く伝えられてなかったから、その映像を誰かに見られたいとは全然思わないんだけれど。
そのあと見たテレビでは、佐藤栞里ちゃんがくりぃむの有田さんに褒められたり、笑ってもらったりしていた。それを見ていたら結局、ぼくは好きな人に認められたり笑ってもらいたいだけなのだなと思った。答えは至って簡単で、人に伝えることは遠回りなんだなと思う。
なんにしても、ぼくにはこうした感情を1分で伝える術がなかったのでもう後悔しても仕方がないと思った。
こうして書いていたら分かったけど、3分だろうと無制限だろうと、なにを話せばよかったとかはないんだな。そもそもずるいことしてるんだから。
でもこういう行動も面白いと思ってほしいよ。
ミスiDのカメラテストが3分だったら
話してみたかったこと
ぼくは銀杏BOYZのアートワークの女の子に永遠に憧れている。
銀杏BOYZが最初にリリースしたシングル「あいどんわなだい」のジャケットは女の子だった。
そこから「光」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のCDジャケットも写真家の川島小鳥さんの写真で、3枚とも同じ女の子の写真だった。
ぼくは、その女の子がとても好きだった。
でもそのひとの名前をぼくは知らない。
そのひとは黒髪で、ボブで、いまにも引き込まれそうな瞳をしていた。
たった3枚の写真だったけれど、ぼくはとても好きだった。
リリースから数年経ったある日、
ぼくは突然彼女の名前を知ることになる。
名前を知った途端、それまでなにも知らなかった彼女のことを次々と知ることが出来た。
彼女はバンドをやっていた。
女性ツインボーカルのバンドだった。
見た目以外なにも知らないで数年間見ていたのだから、そのことにまずびっくりした。
そして目を疑った。ぼくはそのバンドのライブを、この目で観たことがあったからだった。
やついさんが主催する音楽イベントだった。
そのイベントは当日までゲストはシークレットで、やついさんがオススメするバンドをそのときはじめて紹介されて、聴いて、好きな音楽を増やしていく。そんな体験の繰り返しだった。
ぼくはそれに毎回参加していて、その日もきっとソフトドリンクを飲みながら、きっと少し遠くから見ていたんだと思う。
毎日見ているあの写真と同じ人がいるなんて微塵も疑わず「素敵なバンドだなあ」なんて思いながらライブを観ていたのだ。
なぜ気がつけなかったんだろう。
それはもう膝から崩れ落ちるような衝撃だった。
「…そうだ、またライブに行こう!」
そう思ったが、ぼくが知ったとき既にそのバンドは解散していた。
神様はいないのだと思った。
ここから、この話は急展開を迎える。
彼女はTwitterをやっていた。解散していたことを悲しむツイートをしたところ、それを見つけてくれた彼女の方から連絡をくれたのだった。
ずっと好きだったこと、やっと存在を見つけたこと、こうなりたいと憧れていること。
この日全てが伝わった。
そのTwitterでのやりとりはまるで、
神様と話しているような感覚だった。
さらに彼女のツイートを見ていくと、嘘みたいな告知をしていることに気がついた。
新宿で個展を開催していたのだ。
見つけたその日のことである。
すぐに会える、そう思った。
当時のぼくはとんでもない行動力を発揮する。
すぐにメッセージを送信した。
「これから新宿眼科画廊に行ってみようと思います。もしお会いできたら嬉しいです」
ぼくは会いに行くことにした。
銀杏BOYZのジャケットの女の子に。
そのあとのぼくはというと、それはもう酷いものだった。
会場に着いた瞬間遠くから彼女を確認することが出来た。あちらからは気づかれていないことも分かる。ぼくは画廊中を逃げ回った。
震えが止まらない。
「こわい」というたったひとつの感情が極限まで高まった状態を経験した。
「嫌われたくないと思うから人は緊張するんだよ」という言葉を知っていた。これは本当だった
できることならぼくのことを一生知らないでいてほしい。この人に嫌われたくない。嫌われるくらいなら、会いたくない。
でも、
どうしても会いたくて来てしまったのだ。
画廊の1番奥の部屋に追い込まれ、部屋の隅で震えていたぼくになんと彼女から声をかけてくれた。
耐えきれずぼくはボロボロと泣き出してしまった。会いに来ておいて、会えたら泣き出しているのである。自分を客観視する余裕だけはあった。だからこそ情けなかった。
そんなぼくの手を彼女はそっと握ってくれた。
ぼくがずっと好きだったひとは、
やっぱりとても素敵なひとだった。
彼女の個展では、写真の展示と同時にソロ活動の音源を販売していた。すでに売り切れていると思っていたが、Twitterのメッセージを見てぼくのために1枚だけ残してくれていた。
ぼくはその最後の1枚を買った。
そのあと、一緒に写真を撮ってくれた。
この経験を一生忘れることはないだろう。
「ボーイズ・オン・ザ・ラン」以降、
7年間銀杏BOYZはCDをリリースしない。
2016年に復活してトリビュートアルバム「きれいなひとりぼっちたち」のアートワークを小川紗良ちゃんがやっていたときはなんだか寂しかった。
嫌だったわけではない。小川紗良ちゃんは雑誌のモデルをやっていたから、身近な存在になりすぎてしまった気がしたのだ。
それまでのような不思議な魅力を感じない気がしたし、どこか特別なままでいてほしかったのかもしれない。
性別なんて関係なく、こんなふうになりたいと思わせるようなものがずっと。
ずっと続いていて欲しかった。
ぼくの憧れはずっと
12cm×12cmのCDケースの中にあるんだ。
絶対になれないと分かっていても、
ぼくは銀杏BOYZのアートワークになりたいと、
いまでも思っているよ。