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本当の自分がわかるのは”自分の癖”を知ったとき

私は自分の「面倒くさがり」な性格がとても嫌だ。

今まで「面倒くさい」と思ってやらなかったら、それを後悔したということが山ほどある。
例えば私の好きなアボカド。私は夫と暮らすまでアボカドを買ってまで食べようとは思わなかった。だって皮を剥くのが面倒だから。
夫はアボカドが好きでよく買ってくるから、あるとき試しに私も剥いてみた。あれ、思ったより簡単に剥ける。真ん中から縦に一周するように包丁で切れ込みを入れて、左右にねじって半分に割る。柔らかいものならそのまま手で皮を剥いて。

なんだ。こんなに簡単にできるなら、もっと早く買えばよかった。

私はいつもそうなのだ。何かをやるのが面倒くさくて、結局やらない。
けれど後日やってみると、もっと早くやれば良かったと後悔する。
こんな感じで約30年生きてきた。



先月、近所の子育て支援センターで1人の女性と出会った。

彼女は恐らく私より年下の、3児のママ。
末っ子が私の娘と同い年だったため、上の子の幼稚園の夏休みが明けたらゆっくり会おうと約束して、連絡先を交換した。

彼女は、私の初めてのママ友だ。

そしてつい数日前、彼女から「〇〇日って空いてますか?△△へ一緒に行きませんか?」と連絡がきた。

私はLINEのこの文面を見て最初に何を思ったのか。


「面倒くさいな」


もう、これだけ書いて自分で自分が酷いと思うけれど、本当にそう思った。
別に、出会ったときもその後のやり取りも、彼女が嫌な人だったわけではない。
むしろ、丁寧に返事を返してくれて、私と連絡し続けてくれるような、優しい人という印象があった。
彼女と仲良くなれたら良いなとも思っていた。

それなのに、私は彼女から誘いのLINEを見た一言目に「面倒くさい」と出てしまった。

相手はきっと私と仲良くなりたくて誘ってくれてるのに、娘の予防接種だとか夫が休みだとか、何か断る理由を見つけようとした自分に嫌悪感を抱く。
相手の好意を素直に受け入れられない自分に腹が立つ。

もしかして今までの私なら、本当に断っていたかもしれない。

でも、今回は「娘」がいた。出生後からほぼ私と夫としか接していない娘に、友達を作りたい。
その思いで、私は自分を変えようと思った。



私は、彼女からの誘いに「なぜ面倒くさいと思ったのか」を考えてみた。

暑いから。
これは、わかる。最近は熱中症警戒アラートも発令されていて、夫からも「外は出ない方が良いよ」と言われている。
でも、彼女が提案してきた日にちはもう少し後だから、今ほど暑くない。そでに、「暑いから行きたくない」の理由で断るのは私が納得できない。

感染症が怖いから。
これも、わかる。ただ、それは私を誘ってくれた人を避ける理由に値するのか。
私たち自身もお店も、感染予防対策をする。大勢ではないし密になる場所でもない。だからこの理由も納得できない。

翌日が娘の誕生日だから。
一瞬、この理由は正当かも、と思ったけどよく考えるとおかしい。
娘の誕生日当日ならまだわかるが、前日から盛大な飾りつけをしたり料理の仕込みをするわけではないので、実際誕生日の前日は何も予定がないのだ。
だから、彼女の誘いを断る理由にならない。

では、なぜ私は面倒くさいと感じたのか。


そうだ。


初めての人が緊張するから。


私はいつでもどこでも「初めまして」で始まる挨拶が苦手。
もともとしゃべるのが得意ではないから、どんな会話をしたらいいのだろう、沈黙ができたらどうしよう、相手は私のことをどう思うだろうと不安になる。

だから、彼女の誘いにあまり乗り気になれなかった。


その時、私は思う。


私が「面倒くさい」と思うときって、「初めて」のときじゃないか?


そういえば。
アボカドの皮むきが面倒くさいと思っていたのは、アボカドの皮を剥く前だった。
文章を書くのが面倒くさいと思っていたのは、文章を書く前だった。
ママ友の誘いに乗るのがめんどくさいと思ったのは、ママ友と仲良くなる前だった。


そうか。私が「面倒くさい」と思うのは、いつだって「何かを始める前」だ。

私は、「やり方を知らない自分」を「面倒くさい」の言葉で隠すという癖があったのだ。


なんとまあ、おかしなプライドではないか。

私は「無知」な自分が嫌なのだ。アボカドの剥き方を知らない私、文章の書き方を知らない私、人との話し方を知らない私。そんな自分が許せないらしい。実際「アボカドの剥き方を知らないからやらない」とは言っていないのだから。

「面倒くさい」という言葉だと、「やれって言われたらやるけど」みたいに、一応私はそれができるというニュアンスになる。
そうすれば、無知な私を見なくて良い。プライドも傷つかない。

そうやって、私は自分が受け入れられない無知を、無駄にかっこつけたアンニュイさのせいにしている、ちょっぴり恥ずかしい人間だった。


私は「初めて」が人一倍怖いんだと思う。

私の「面倒くさい」はその恐怖からくる言葉なんだ。

本当に面倒だと思っているわけではない。



このことに気づいたら、ママ友への返事がずっとしやすくなった。

「〇〇日、空いてます空いてます!!行きましょう!!楽しみです!!」



私はずっと「自分は面倒くさがりな性格」だと思っていたけど、本当は「初めての経験が怖い」だけだった。
怖いものは、しょうがない。誰にだって怖いものはある。そういう自分を嫌いになる必要はない。
約30年生きていても、まだまだ知らない自分がいたもんだ。


こうやって自分の癖の理由を知れれば、次似たようなことがあっても微笑みながら自分を受け入れることができると思う。

泥だらけのおもちゃも水で流せば本来の姿を見せるように、自分の嫌なところも理由という名の言葉で流せば「本当の自分」に出会えるんだ。


自分を知るのって面白い。自分を知ったら生きやすくなる。

私はもっと自分を知りたい。




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