ガンと闘う母のこと
私の母は、ガンサバイバーだ。
闘い初めて四年以上が経った。母の胸は、片方しかない。右胸には、横一直線にキレイな手術の痕が残っている。そして、残された左胸にも、ガンは侵略を始めた。
母が乳ガンであると宣告されて、泣いていたのは父だけだった。私と姉は泣かなかった。ショックも受けなかった。まだ、実感が湧かなかったのだ。代わりに、父は引くほど泣いた。父があまりにも泣くので、母は泣くにも泣けないと言って笑っていた。
一度だけ、私が成人するまで生きられるのか……と言っている母の声を聞いたことがある。多分、母はそのとき泣いていた。もしかしたらそれ以外にも、母はひとりで泣いていたのかもしれない。
治療を始める前、病院の院長先生は母に「大丈夫、治るよ」と言ってくれたそうだ。その言葉に、家族全員救われた。特に、父はその言葉を機にメソメソしなくなったと思う。
しかし、母のガンは強者だった。右胸を切除してすぐ、皮膚への転移が判明した。知らせの電話を受けたとき、父はまた泣いた。つられて私も泣きそうになった。
母は、治療を機に会社を辞めた。仕事を辞めると人に会う機会もめっきりと減り、今では看護師さんが家族以外の一番の話し相手と言っても過言ではない。
母は、人と関わっているときの方が生き生きとして見える。本当はおしゃべりが大好きなんだと思う。家族のいない家で日中、母はドラマを見るかスマホゲームをしてひとりで過ごしている。私はもっと、母に人と関わってほしい。それが母にとって、良い刺激になると思うから。
一口に抗がん剤と言っても、様々な種類がある。効果も副作用もバラバラで、全ての抗がん剤に脱毛の副作用があるわけではない。
四年前、初めての抗がん剤の時は髪の毛が抜けた。この脱毛という副作用が、精神的ショックになる人もいる。幸い、母はそうではなかった。もともと坊主にしてみたいという願望があったことに加え、看護師さんに頭の形がキレイだと褒められて嬉しそうだった。
それから何度か抗がん剤が変わったことで髪の毛は伸びたが、今の抗がん剤でまた抜けることになった。手ぐしで髪をとかすと、スルスルッと抜けていく。
四年前は平気だったのに、薄くなった母の頭を見て、涙が出そうになった。小さくなった母の背中には、抜け落ちた細い髪の毛がたくさん付いていた。母はいつの間に、こんなに弱々しく、小さくなってしまったのだろう。
筋肉が落ちて痩せた手足は、抗がん剤の副作用でもうずっと痺れているらしかった。体の痛みに苦しむ母の姿を見て、本当に良くなっているのだろうかと、不安になった。
左胸の皮膚は赤く腫れて弱くなり、ちょっとした刺激で出血するようになった。母は、「ママのおっぱい醜いね」と言った。私は、何と返したら良いのかわからなかった。
母は、今日も闘っている。
副作用に苦しみながら、見えない敵と闘っている。
頑張れ、母。
頑張れ、母の体。
私にできることは、そばにいることだけ。
祈ることだけ。
ガンが、母の体からなくなりますように。
母が元気になりますように。
私の気持ちはいつも、母と一緒に闘っている。
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