6歳児に学ぶ処世術
しちゃいけないことをしたら、逮捕されちゃう。逮捕はされたことがないけど、警察のお世話になったことが二度ある。一度目は迷子になった時。小学校1年生のころだっただろうか。母と自転車で出かけていた。母は妹をのせ先頭を走り、CHOCOはその後ろ。狭い一本道、突然横の道から見知らぬおばさんが間に割って入ってきた。しばらく直進し、おばさんは曲がり角に消える。あのおばさんはマジシャンがひらひらさせるマントのような存在だったのだろう。ハラリと取り払われたその瞬間、舞台からあるはずのものが消えた。母と妹の姿がどこにもないのだ。修羅とたこ焼きの町大阪で、じゃりン子チエならぬチャリンコCHOCOは途方に暮れた。こういう時、どうしたらいいのか。
とりあえず進もう。進んだ先で母たちに会えるかもしれない。どれだけ進んでも母の姿は見えなかった。ロードレーサーか。競輪選手か。
上を見よう。すると遠くに看板が見えた。友達のマンションの家の上にある看板だ。前をむき、上を見て、目標物に近づいていく。これで帰れる。そう思った。けれどたどり着いたその先は、全然知らない場所。FC展開をしている不動産屋だから、あちらこちらにその看板があったのだ。
誰かに相談しよう。頼みの綱だった看板が偽物(偽物ではないけれど、当時はものすごい裏切りに思えた)だったと知り、いよいよ後がなくなった。メイを探すサツキのように「○○警察(最寄りの警察所)はどこですか?」と聞いて回った。携帯電話のない時代、大人もアクションを起こしづらかったように思う。商店に立ち寄り電話を貸してもらうことにした。店のおばちゃんはビックリしてすぐに警察に連絡してくれた。母のほうでも通報をしていたらしく、さっさと家に帰る段取りがついた。
甘えてみよう。店のおばちゃんが、飲み物や食べ物を渡してくれたけど、頑なに固辞した。甘えられない・泣くことができない。こういうところが長女の悲しい性だと思う。少し待つと、近所のおばちゃんが迎えに来てくれた。警察でもなく、母でもない。なんでやねんねんねん。妹の世話だったり、警察や各所への連絡だったり、いろいろあったのかもしれない。でも6歳の自分にはそれがわからなかった。怒りと、悲しみ。それでも、家についたら、涙が止まらなかった。緊張の糸が切れたのだろう。
それから29年近くの月日がたち、CHOCOはすっかり大人になった。自分の居場所に不安があるとき、悩みがあるとき、うまくできているか考えた。
めちゃめちゃ酒に逃げてた🌠
あのころのCHOCOのほうが、よっぽどうまく対処できていたのかもしれない。
大人になるといろいろある。人間がからみ、お金がからみ、責任がからむ。けれど悩み事に関する対処法は、いつだって同じなんじゃないか。
それこそ日本が酒を飲むことを違法といい始めたら、CHOCOはリアルに逮捕される可能性がある。立派に依存してる。酔うために飲んでる。けれどそれじゃダメなんだと、心のどこかでもわかってる。
だからCHOCOは語り始めたのかもしれない。前を見る。上を見る。相談して、頼る。めそめそと、泣くのはやめだ。
ちなみに二度目の警察との再会は「わが子の捜索願い(迷子)」だった。
血筋かよ。息子を見つけてくれたのは、やっぱり警察でもなく、母(CHOCO)でもなく、旦那と教頭だった。
血筋かよ。