ひたすら登れ。
タイトルはふと降ってきた。
サラリーマンを辞めて、のんびりできるかと思いきや…
YouTuberとしての生活は、あっという間に一日が過ぎる。
朝、起床。
朝ごはんや息子の弁当を作り、様々な用意。
息子を送り出す。
食器など洗い物、洗濯、掃除。
あっという間にお昼前。
自分のお昼ご飯を作る。
食べて、自室に行き、仕事をする。
原稿作成、収録、編集、サムネ作り等々・・・。
その他、仕事のための勉強をしたり、書類作成。
そして、あっという間に夕方。
ご飯をつくり、お風呂に入って、また家事。
夜にまた洗濯することもある。
その合間に、息子と娘、犬と遊んだりのひととき。
そして家事が終わって、22時には自室へ。
またYouTubeの編集をしたり、原稿を書いたり、
私事や家族の諸々の書類を作成するのもこの時間。
睡眠が安定しない息子が、落ち着いて早く寝てくれたらいいが、そううまくいかない日もある。
そんな日は正直、心臓が落ち着かない。
今は、やりたいことをやっているし、
自分で時間のコントロールができる。
子の都合で、と周りに気を使いつつ休みを取ったり、早退するときの心身の負担がなくなったのは、割とありがたい。
お金の面も、今は特に困ることなく生活できていて、本当にありがたい限りである。
一年前の私は、こんなことを想像もしていなかった。
私は自営業の家庭で育ち、お金にかなり困って生活していた。
だから、自営なんて絶対しない、と決めていた。
だが、今は自営業である。
不思議なものである。
生き方は、自分の意思で、いつだって変えられる。
階段を登るも降りるも自分次第。
他人の目や、他人の評価に従って、自分の意思や人生を決める必要はない。
私も、父が亡くなった年齢に近づいてきた。
ゆえに、いつどうなるかわからないんだな、常に思っている。
そして、
(私は死ぬ時に、何をしておけば良かったと思うだろうか)
としょっちゅう考えている。
いろんなことが思い浮かぶ。
どれも共通しているのは、
(あれが欲しかった)
(もっとお金を稼げば良かった)
(贅沢しておけばよかった)
といった物質的なことではなく、
(あれを伝えておかなければ)
(こういうことを頼んでおかねば)
というような、
『人と人との繋がりのことと、残された人たちの幸せ』
のことばかりである。
私のYouTubeチャンネルは、私から娘への遺書みたいなもの。
私が死んだ後、動画が残っていたら、私の言葉の端々から伝えたかったことを、くみとってもらえたら嬉しい。
息子のことは、どんなにやり尽くしても、
私は心配しながら死んでいくだろう。
人間の思惑なぞ関係なく、
死はいつ訪れるかわからない。
だから、同じような日々を繰り返しながら、
今この瞬間、死んだら後悔することを
ひとつでもやって、一日終えるようにしている。
片付け、掃除、洗濯物を取り込んでおくとか、
身の回りの事でもいい。
あと、自分に心を尽くしてくれた人に
「ありがとう」
とか、
大切な人に
「愛しているよ」
とか、伝えるのでもいい。
というかそっちの方が大事な気がする。
残していく大事な人達には、私の心からの
「愛しているよ。大丈夫だよ」
という言葉を支えに、強く生きて欲しい。
本当に愛しているし、大丈夫なのだから。
まだまだ死なないと思うけど。
「本当に愛しているよ。
あなたは大丈夫だよ。
いつも本当に、ありがとうね」
心から。私より。
また書きます。
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