他人に頼らず、自分の人生を歩むには。
ここのところ不調で、病院に行ってきました。
診察と検査を経て、お薬をもらって帰宅。
今は身体が不調なだけで、心は元気です。
私も、身体が元気がないと、心も少しずつ元気がなくなってきます。
人恋しくもなります。
私は時間が経つと、嫌なことも忘れてしまうので、過去に、大切であったり、好きだったけどいろんな経緯でもう会わないと決めた人達に、また会いたいな、とか、また話したいな、ともうっかり思ってしまいます。
でも、そんなときは、私のスマホに保存している
『その人にされて、嫌で嫌でたまらなかったメモ』
を見ます。
なんでその人を嫌いになったのか。
どういうところが決定的に合わないのか。
妥協できなかったから、もう会わない、という選択をしたのに、また会いたいと思って連絡をとってしまったら、
『再び妥協する→嫌いになる』
という可能性が非常に高くなります。
『妥協する=(多少なりとも)我慢する』
ということなんです。
あのとき我慢できなかったのに、今度は我慢できますか?
ないな!
人恋しくなるなら。早く寝るに限ります。
そして心身の回復に務めましょう。
他人は、自分の何かを埋めてくれるのでしょうか。
私は常々、死ぬ時は孤独死がいいと思っているのですが、もし誰かそばにいるとしたら、それは家族の可能性が大きいのではないでしょうか。
いろんな家族の形がありますが、だいたいにおいて自分の人生に大きく関わって、責任が生じるのは家族の役目です。
自分が弱くなっている時に、法的責任のない他人に自分の何かを埋めてもらうのは、その他人にも荷が重いことです。
できるだけ、家族で相互に支え合い、助け合う。
もしそのような家族が居ないのなら、公的機関などを遠慮なく頼る。
そして、何よりも、自分が精神的に独立した存在であることが大事です。
困った時は他者に頼りながらも、自分はこうしたい、こうありたい、というきっぱりとした精神を持ち、通せる我は通しましょう。
そして、他者と合致しないなら、自分を押し殺して我慢し続けるのではなく、思い切って離れる勇気と、離れられる経済力を持ちましょう。
人生は短いんです。
自分の意思を大事にして、充足した人生を歩みましょう。
そして、人生は選択の連続です。
他人の目や意見に左右されることをできるだけ少なくして、選択できるうちは自分の意思で選択しましょう。
ひとつ選択するたびに
(私はこれを自己決定して、これをやる)
と心で唱えると、それだけで充足感と自己肯定感が増します。
例えば
(私は、昨日のお休みは家にいることを決めて、実行しました!)
(私はジュースとお茶がある中、お茶を選んで飲みました)
とか。
自分で決定し、達成する。
小さなことや、当たり前のことでも、あえてこれを積み重ねることが、自己の意識を育てるように思います。
というわけで、寝ます。
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