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言葉にするのをためらわず、あきらめず、そう伝えようと思うおくには。

余計なことを言わないようにと思ったら、
全部が余計なことに思えて言葉に出来なくなった。

そんなときがわたしにもありました。

ここ1年ちょいの間に出会っている方だと想像つかないだろうし、その前に会っている方でも「そうだったの?」って思われるかもしれません。
今では「よくしゃべるやっちゃなぁ」と思われるくらい話しているけどそんなときがあったのです。

「余計なことをするな」
「一言多い。沈黙は金って知らんか?」
それを言われて、ミッフィーみたいに口をバッテンにすることを覚えました。
(そんだけ言われるってどんだけおしゃべりやねんですが)

マイマザーてるちゃんは、みるひとがみたら余計なことをする、言う、やらかすのオンパレードな人でして。
今思えば、わたしにそんなところがあったからだと思うのですが
「ああいうふうにしちゃだめだ」
そんなふうに思っていたところもあったのもあり、今までの自分にもバッテンをしました。
(今はそう思ってないよ。素敵な素敵な幸せにする力をもった人だと尊敬しています)

わたしの考えより、上司の意見に沿うのが正しい。
そう思って「○○さんが言うように動きます。わたしの意見は必要ないんで」とつっぱねてしまったときもありました。(逆に使いづらい部下。笑)

そうしてわたしは、自分の言葉で語らなくなって、
みんなの言うことに合わせて従って。
言葉にするのをあきらめました。

そしたら不思議なもので、
言葉が見つからなくなってくるのです。
回路がなくなるというか、筋力が落ちるというか。
『正しそうに思われるもの』しか言えなくなって。

友人たちとお茶をしていて場の空気を壊したくなくて、具合が悪いのに「帰る」って言葉が出なくて。
「ちょこ、具合悪そうだよ?大丈夫?どうしたの?」と友人に気にかけてもらっただけで泣いたりするくらいでした。笑

そこからたくさんの時間をかけて、
たくさんのひとの手を借りて、
話をきいてもらう機会をもらって、
頭と心で対話することが増えて、

未言語を言語化することができるようになってきました。
今でも伝える時は「こわい」って思うときもあります。
言ったあとに後悔することもたくさん。

まだまだバランスが悪かったり、調整は必要だけど、
自分の中のコトバをたくさん感じれるようになり、
言語化したことでの気付きも刺激もたくさんもらいました。

といっても、言葉の仕方、言葉にするタイミングは今勉強中です。伝え方だなぁとも思うし、セレクトもあるなぁって今は何となく思いつつ、な今です。

わたしはなにかに付け、
まず言語化しようよ、物語ろうよ、と言います。
あなたインタビュー中やグラレコ中に「言葉をきかせて」そうメッセージを発します。

それはなぜかといえば、

言葉にするのを取り戻すってなくしたあとだと大変だから、
なくしてしまわないうちに大切にしようよ

あなたの言葉はあなたにしか紡げないものだから
余計なことなんてないんだと思う。
だからなんてことなくても話したらいいんだよ

言葉にって言ってるけど実際は
「自分の中にはたくさんのコトバ(未言語)があるんだ」って
知ってくれてたらいい、コトバをハグしてあなたを大切に。

そう伝えたいからなんだと思いました。

かきながら力量としてはまだまだだなぁって感じながら。

今日もわたしは「言葉にしようよ」とひとと向き合うのです。

#言葉にならないものを言語化する
#未言語調律師
#言葉のニュアンスをつかむ
#言葉の解像度と精度をあげる
#言葉にしきれるわけないけど
#言葉を尽くす

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