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私もオーストラリアで育ちたかった

驚くほど何もない。

これが私がオーストラリア、ケアンズに2002年7月に初めて降り立った感想だった。素晴らしい大自然があるケアンズになんて失礼な感想。

国際空港のはずだけど。到着前、上から見ていたら熱帯雨林と海しか見えなかったけど。きっと町がでてくるんだろうなと期待していたけど、そのまま突然出てきた二階建ての建物近くに到着。

気が付くと移住して20年以上が経ち、都会シドニーで3人の子どもたちも大きくなっている。人生予想外なことが多い。日本大好きだった私がオーストラリアで本当の「自由」と「尊重」を教える教育に出会い、色んな事に気付いた話をシェアしたい。今だから言える事。

都会が全てだった25歳の私と大自然のオーストラリアは第一印象最悪だった。


突然のオーストラリア移住

彼氏だった夫が突然決めてきた現地採用のお仕事。2000年のシドニーオリンピック後、日本から海外旅行で人気の行先となったオーストラリア。日本で旅行会社の経験があるという事で現地の旅行会社に採用された。聞いた時は本当に驚いた。だって夫は英語が好きではないし苦手。

すぐにでも来てほしいという事だったため、急遽籍を入れてビザを取る作業に入り、半年後に夫は先にケアンズへ。日本にある中国の航空会社で勤務していた私は遅れて行くことに。中国語が好きすぎて日系航空会社から転職して入った会社。週二回の中国語レッスンも楽しく通っていたため、私の中のオーストラリアのイメージは、ほぼカンガルーとコアラくらいだった。

カンガルーは中国語では「袋鼠」だよな、ふくろねずみなんてすごい言い方・・なんて考えていたけど、ずっと親友だった夫の新しい仕事へのワクワク加減は半端なく、応援したいこともあり一緒に行くことは嫌ではなかった。英語圏だし問題ないはず・・と。

元々外国好きな私は英語は問題なく、夫が先に行って家探しや銀行の口座開設時は電話でフレーズを伝えたりして二人三脚。英語やってて良かった。人生無駄な事は何もないのね。この時は私含め誰もがオーストラリア移住は私は問題ないと思っていた。

夫は心配性の私とは正反対で悩むなら動くという人。だからこそ、突然のオーストラリア移住が出来たのかもしれない。先に行った1か月で夫は自転車事故に遭って前歯4本を失くしていたり、英語でしか対応してくれない上司のストレスで6キロ痩せていた。壮絶。

何をしたらいいのかわからない

引っ越してきてすぐに気づいてしまった。やることがない。夫が仕事に行っている間、買い物に行こうとも2階建てでそんなに店舗が入っていないモールのみで、欲しい物もない。

家も二階建てのアパートメントの二階。窓から見えるのは平屋と森。乾季の7月で涼しいはずなのに日差しは半端なく降り注ぎ、歩いている人はいない。車もまだ買っていなかったので自転車を買うことに。そもそも私は免許証を持っていない。やばい、これは病んでしまう。

これは働くしかない。ありがたいことに、留学センターの受付で働けることになったけど、同じ年くらいのワーキングホリデーメイカーを見るとキラキラしていて見ていられない。私は何でここにいるんだろう、オーストラリアに興味がないのに・・と思ってしまう。

夫の仕事ではあるけど、私の決断で来たにも関わらず精神的に病んでしまう。私のやりたい事はこれではないという気持ちが消えないまま時が過ぎたけど、そこで友達ができたりして救われる。そして日本で勤務していた日系航空会社でまた働けることになり少し浮上。

病んだ時の原因の一つは英語。日本で英語を勉強してきた私の英語発音は普通にアメリカ英語だったらしく、イギリスよりでケアンズのなまりがあるオーストラリア英語は驚くほどに聞き取れなかった・・・。できると思っていたので衝撃。ただただショック。世界は広い。

空港でも他の職員と話していて「なんで日本人なのにアメリカ英語話すの?」と笑われたりすることもしばしば。Aを本当にアイと発音する事に慣れるまで時間が掛かる。ちなみにシドニーはもっと多国籍なのでそこまでなまりはありません。多分。今は慣れてしまったので分からない。

当時のケアンズは日系企業が観光業界のメインな会社を所有していたりして、場所によっては日本人が嫌いな人も。どこでもそういうのはあるのかも知れないけど。

世界遺産グレートバリアリーフと熱帯雨林キュランダに囲まれた町ケアンズ。大自然が広がっているため、否が応でも自分と向き合う時間が増える。これが私には非常に辛かった。

今まではこうやってこうやれば大丈夫!というように周りを見ながらやっていれば良い子と言われる生活だったのに、突然全てが変わり何が正解か分からないまま、あなたは自由なんだから好きなことをやって!と言われてしまった感じ。

私は何が好きなのか
私は何が得意なのか
私は何がしたいのか

自分が分からないまま底抜けの自由を持て余してしまい、都会へ引っ越したくてしょうがなかった毎日。夫のビジネスビザの期間が切れたら絶対日本に帰ってやる!!と思っていたはずなのに、いつの間にか子どもは3人。色々と乗り越えながらシドニーで暮らしている。おかしいな。

永住フェアリーの助け?

永住するつもりも全くなかったのに、ちょうどよく駐車できる場所を探すパーキングフェアリーを従えるラッキーな夫が、会社から永住権のサポートをしてもらえることになり、そのままラッキーに取る事ができた。夫の頑張りが認めてもらえた永住権。素晴らしい。今ではどんどん厳しくなる永住権取得。あの時がきっとベストだった。永住ビザフェアリーもいたのかも。

長男が5歳で小学校の年長学年プレップに入学するため、私も運転免許証を取り、あれよあれよという間に小学校、保育園に子どもたちを通わせながらオーストラリアに浸透していく。そこで教育が日本のものと全く違うことに気付き目から鱗。オーストラリアで教育を受けさせたいと思うようになった。

周りに迷惑をかけないように、ごめんなさいが言えるように、人と違うことをしないように、と育てられた私はオーストラリアの「違うことを全て受け入れて認め、許しが溢れる教育」に出会いちょっと怯んだ。いや、ちょっとじゃないかも。

自分の気持ちを優先してもいい、人と違うのは当たり前で尊重すべきのオーストラリア。子どもたちも伸び伸びしている。私が行きたかった学校、世界だった。

周りに迷惑をかけないように・・といつも思わなくても、幸せなら自然と人に優しくできるし助けたくなる。車椅子やベビーカーを使う方々も自由に一人で出かけることができる社会。すみません、すみませんと謝りながら進まなくてもいい社会。すれ違う人は笑顔で挨拶。なんだ、このハッピーカントリー。

私が好きな事は好きでいい。誰も否定しない。やっとわかってきた。他の人の評価をこの国の人は誰も気にしてない。自分が幸せになることを最優先しても良いんだ。幸せだと周りにも優しくなれる。

もちろん、不都合な事もある。郵便がまともに届かなかったり、修理を頼んでも時間通りに来なかったり、引っ越し業者ですら3時間遅刻したりする。全てきちんと時間通りに進む日本に比べると全くスムーズではないのですが、それが当たり前なオーストラリア。思った通りにできると逆に嬉しくなるというおまけもあったりする。

NOを教える保育園

子どもたちが通った保育園では、最初にそれぞれ子どもたちのNOを確認し、してほしくない事にNOと言えるように教えていた。理由は自分がして欲しくない事を断るのは本人しかわからない事だから。

素晴らしすぎる。

私は逆に「はい」と「いいよ」と許すことしか許されなかったし、「いやだ」と言う事は推奨されてなかったので、目から鱗。嫌いだと言って良かったのか。

確かにやってほしくない事や自分の嫌いな事を周りがわかってくれた場合、それをされないので楽になるはず。先生たちもそれがわかっていれば避けられるのでお互い心地よい空間を作ることができるはず。

Stop it. I don't like it!(やめて、私はそれが好きじゃない!)をきちんと言えることでお友達とも境界を作れるので、良いことだと感心。

小さい頃から自分の好きな事がお友達と違う事、お友達でもして欲しくないことをきちんと伝えられるし、言われたら納得できる事。自分を否定されているのではなく、その行動やモノが嫌いなだけ。これができるとその後の考え方がお互い変わる行きやすくなる気がする。

オーストラリアの教育、好き。

日本に帰ろうと思っていた私の気持ちは急激にオーストラリアファンになっていった。

間違うことは怖くない

長男が公立の小学校に行き始めて驚いたことはたくさんあるけれど、一番驚いたのは学校に持っていくものが少ないこと。

学校の持ち物は、お弁当、水筒、帽子。以上!あとは制服を着て行くだけ。鉛筆、色鉛筆、ノートなどは全て学校に置いてあるので持ち帰る必要もなし。なんて素敵。

そして宿題もあまりない。学校によるけども今まで子どもたちが通った小学校4校全て毎日することは読書くらいで、あとは2週間に一度提出だったりプレゼンテーションだったり、日本のような丸付けが必要なドリルもないので先生の負担も少なそう。なんなら時間割もない。

もし忘れ物をしても、お弁当を忘れたとしても

Not a big deal! (大きな問題じゃないよ!)

と、職員室で食べ物をもらえたり売店で立て替えて売ってくれたり、他のものも問題なく貸してもらえる。

スポーツの日はそもそも体操服を着て行くので持っていくのを忘れることもない。天国かしら。

見ていると子どもたちに先生が教えていることは、間違っても大丈夫!間違ったら新しい事を学ぶチャンスだよと言う事。

間違ったらダメ!!と小学校で怒られてきた私にはこれまた驚きポイント。学校では褒められる事が多く先生とも信頼関係がうまくできている気がする。私はできることならオーストラリアの小学校に行きたかった。

本気で心配される昭和の小学校

上の子どもたちがまだ小学生で1番下の娘が産まれていない時に、大きな違いに驚いて私の小学校時代の話を話したことがある。この思い出はトラウマとなっていて私は今も人前で歌が歌えない。

忘れもしない小学校4年生の音楽の時間。クラスで一人ずつみんなの前で歌うテストがあり、歌は好きだった私は躊躇なく歌ったのだが、それを聞いた男性教師はニヤニヤしながら隣の席の歌が得意な幸子ちゃん(仮名)に歌うように言い、終わった後に私に言った。もちろんみんなの前で。

「ちさとはやっぱり歌が下手だな。幸子と比べるとよくわかる。」

家族には上手だねとお世辞を言われていたし、歌う事が好きだったのにみんなの前で大否定されて目が回るほどショックだったのを覚えている。

それ以来、人前で歌おうとすると涙が出るので中学時代も歌のテストは全部離脱、流行ってきたカラオケも全く行けないノリの悪い学生時代を過ごした。

それを話した時の上の子達の反応にびっくり。私が笑いながら話したのに、息子たち2人は泣きそうになっていて

「Are you okay? You don't need to talk it if you feel sad.」
(大丈夫?悲しくなるなら話さなくていいんだよ。)

とハグしてくれました。突然の親子3人グループハグ。そんな先生がいるなんて信じられない・・・と言われながら。私もやっと子どもたちのおかげでこの思い出を浄化出来たかも。ありがとね。

刺激が強すぎると思ったので、1メートルものさしで頭を叩く先生については伝えるのを控えた事を覚えている。ビンタされてるのも見た事あるかも。昭和怖いわ。

オーストラリアはもちろん体罰/暴言はありえません。警察沙汰です。

感情のコントロール方法

日本では全く教えてもらわなかったことをオーストラリアの小学生は低学年からやっていた。

それは感情のコントロール

赤青黄色などの信号の色でわかりやすくしている表もあったりして、視覚的にもわかりやすい。

自分が今怒っていたら、疲れていたら、悲しかったら、その感情をどうしたらいいのかを教えてくれる。これってすごい。無理をすると結局自分が壊れてしまう、もっと悪くなってしまう。なんなら身体にきてしまうのを防ぐため。

日本だと、自分の感情よりも周りの感情や規則を優先しないといけない事が多かったりして自分を後回しにしてしまい、トラウマになったりしてしまったこともあるかも。私はある。

小学校2年生の娘は学校で習ってきたことをたくさん教えてくれるのだが、感心しきりな私。私も小さい時に知りたかった。

例①
何かおかしいなと思ったらその感情に名前を付けて(「悲しみ」「怒り」など)、それを周りに伝えて自分が落ち着くまで少し離れて休む。

例②
腹式呼吸、深呼吸をする。わかりやすくするため、片手をパーにして、もう一つの手の人差し指でパーにしている指をなぞり、上に上がる時に息を吸い下がる時に吐くを繰り返す。

感情を無視するのではなく、認識して自分で機嫌を取れるようになるってすごい!これ生きていくのに必要なスキルだと思う。ちなみに現在の娘の学校にはクラスにはカームダウンルームがあり、ひとりになりたい時はそこのビーンクッションに座って落ち着くことができる。すごすぎる。

グループワークも多く、みんなで力を合わせることも大事だけど、個人が自分で感情をコントロールすることが成長への近道と考えている教育は本当に素晴らしい。これは1年で終わるものではなく、毎年やっている。もちろん理由は生きていくのに必要な事だから。

禁止事項が少ない学校

オーストラリアの学校では禁止事項が少ない。おもちゃも自分で責任を持つなら持ってきて良い。落ち着くぬいぐるみを持ってきてる子もいる。

5歳の年長学年から1年生の間はフルーツの時間もあるし、その上の学年になってもずっとリセスと言うおやつの時間があり、その後ランチの時間がある。集中力を切らさないようにするのに良いアイデア。できるだけヘルシーにと言うことでおやつもフルーツ、べジスティックなど推奨されている。

制服は決まっているけど、アクセサリーは特に禁止などなく安全上問題なければピアス、ネックレス、ブレスレットOK。髪の色も多種多様なため、カラフル。同じクラスに外国のバックグラウンドを持つ子達が10人以上いたりする超多国籍。

宗教の時間もあるので、色々な宗教がありみんなそれぞれ大切にしているものが違う事も小さい頃から学べる。

1年に1度ハーモニーデーと言う多国籍を祝う日もあり、その日は自分のバックグラウンドの文化の服を着て行きパレードをしてお祝い。特になければハーモニーデーの色であるオレンジの服で登校。うちの子達は甚平や浴衣で参加。色んな国籍の服が見られて毎年楽しみにしている日。

私が一番驚いたのは、アスレチックカーニバルと言う運動計測会、クロスカントリーと言う持久走大会、スイミングカーニバルと言う水泳大会など学校の行事は、全て子どもたちの意思で参加を決めて良いところ。出たくない子はその日ベンチでずっと本を読んでいたりする。すごい。

逆にそれはどうなの?と思うくらい。一生やらないことを選択した場合、走る事なく学校生活が終わってしまう。全員参加だった日本の学校生活を送った私は非常に困惑したけども、子どもたちは快適そうなのでまあいいか。

自分が小さい頃の教育や常識と違いすぎて、こんなに自由だけど特に荒れることもなくみんな伸び伸び育っているオーストラリアに少しずつ慣れてきた。

子どもの時間を大事にする

18歳までの子どもの時間はすぐに終わるので、その間にしっかり遊ぶ必要があるとされているオーストラリア。

子どもは10時間寝る必要があると就寝時間を大事にしたり、悪い言葉を聞かせないように9時前にテレビで流さなかったり、スポーツをしていても土日どちらかは家族の時間だからと試合も週末全部潰すこともない。

学校のイベントも親が見に来るイベントも多く、その理由で会社に遅れたり休むことを社会が許してくれている。学校も3時で終わるので部活などはなく、クラブがあったとしても朝かランチタイムで残ってやるというのはほぼない。日本と違い通学も送迎が必要なので、親もかなりの時間子どもと向き合う時間が多い。

一番良いなと思ったのは、しっかりして!とかもっと勉強して!と言われる代わりに、大好きだよ、誇りに思うよと育てられる子どもたち。羨ましすぎる。おおらかに育つはずだわ。

塾に行く子も日本より圧倒的に少ないし日本のような勉強方法じゃないけど、普通に勉強しスポーツをしていても大学に進めるシステムがありそんなやり方があったんだと驚かされた。

子どもとして親といられる時間は実はそんなに多くない。それを知っていて守っている社会は素晴らしいなと心より思う。この大らかで社会全体が子どもを育てるような雰囲気の国で、子育てしていると小さい時の私が喜んでいる感覚を感じる。

クレイジーヘアデイにどんな髪型で行こうかと娘と相談したり、ブックウィークの仮装でどんな服にするか真剣に息子たちと考えた時も。イースターハットパレードの帽子を一緒に飾ったり、スピーチの宿題のパワーポイントを一緒に作った時も。

長男はもう高校を卒業してしまったけど、たくさんの一緒に過ごした時間は私や夫にとっても宝物だと感じる。私も両親とこんな時間を過ごせる学校生活を送っていたらと本当にうらやましい。

息抜きが上手な国

私の印象としては、オーストラリアはずっと頑張らなくても良い国。緩むのがとても上手な国だと思う。他の国に長く住んだことがないのでわからないけど、人間が人間に優しい。

ガチガチに人に迷惑をかけたらいけない、良い子でいなければいけない、言いたい事を言ってはいけないと思い込んでいた私はオーストラリアに住んで22年経った今やっと気づくことが色々ある。誰もそんなことを私に言ってないのに、勝手に思い込んでいたってどうなんだろう。それはもう呪いでは・・。遅すぎるとも思うけどきっとこれが私のタイミング。

途中で免疫不全の慢性疾患を抱えたりもしたけども、私の場合そんな生き方が招いたものかなとも少し思う。子どもたちやオーストラリアの社会に教えてもらったように、自分に優しく辛い時は上手に息抜きしながら生きていきたい。

大変な時辛いと思った時、助けを求めると周りがさっと助けてくれる。だから周りに対してもすぐに助けようと思う。この幸せの循環は本当に心地よいし生きやすい。

日本のきちんとしたところも、もちろん好きだけど、間違ったとしても許してくれる社会は包み込むように優しくありがたかった。これを学びにオーストラリアに来たのかも知れない。

第一印象は最悪だったけど、今はこの国に来て本当に良かったと思う。これからもきっと色々あると思うけど、助けを求めながらも乗り越えていけそう。きっとここまで来ないと身体も頭も緩ませられなかったので、生まれる前に組んできたプログラムかも。

子どもたちがこの優しい国で育つのはとても嬉しい。私もこの国で育ちたかった。

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