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スーパーパーフェクトなタイミングで助けてくれる天使達 その③

旅行に行ったり叔母が日本から来てくれたりで②から時間が空き失礼。

ではでは改めて私の会社の最終面接のお話。約30年前だわ、こわ。

エアラインの専門学校に通っていた私は156cmと言う身長のためキャビンクルーにはなる事が難しいということで、地上のカスタマーサービスであるグランドスタッフ(当時はグランドホステス)を目指していた。

大人気の赤い翼、成田空港での勤務は子会社であるハンドリング会社に入る必要がある。お給料などはそんなに良くなかったけども、制服が着られて国際空港で働けるというところが人気だったようで難関だった。もちろん私もその一人。流れとしては

書類選考

第一次試験 
幕張メッセで1日3回くらい入れ替わりの筆記試験

第二次面接

第三次面接
最終試験 重役面接

福岡から同じ専門学校の何人かでウィークリーマンションを借りての参戦。しかも毎回の合否は実家に電報で知らされるというオールドスタイルwww今の時代の若者はきっと電報知らないよね。

書類選考の時はまだ実家におり、第一次試験からは東京に泊まりながら試験を受けた。幕張メッセでこんなにいるのか・・と衝撃を受けたけど専門学校でめちゃめちゃSPI試験(今もあるのかな)の練習をしてたのもあり合格。

第二次面接も緊張して覚えてないけど、ラッキーな事に合格。今考えてちょっと大丈夫?と思うのは、私が面接を受けた時のスーツ。専門学校も特殊だったかし業界も普通ではなかったからか、リクルートスーツ以外を推奨されていた。私がその時着て行ったスーツの色は

白。

良く行ったな・・、若さゆえ?結構ボディラインを拾う白いジャケットに黒いスカートでジャケットの上から細い黒いベルトというリクルートスーツからは程遠い感じ。髪の毛も一つにまとめるのではなくハーフアップ。

最終面接は3,4人くらいで面接官は3人。とても緊張したことを今でも覚えている。既卒採用の面接だったので、色んな年齢の志望者が集まっており、この時も東京の有名な大学だったり、イギリスやアメリカに留学して帰ってきたり何だか肩書もすごい。

学歴が福岡のエアライン専門学校のみな私は、自己紹介の時点で結構な違いを見せつけられ逆にリラックスできた。だって学歴だと全く勝ち目がない。

一人ずつ、不思議な質問をされ始め、私には何が来るのかと思っていたところ、私の履歴書を見ながらひとりの面接官が聞いてくれた。

「ちさとさんはシンクロナイズドスイミングをされていたとのことですが、お話を聞かせてもらえますか?」

そう、実は私はシンクロナイズドスイミングの選手を小学生から18歳までやっていた。なぜ始めたか、どんな練習をしてたのか、日本選手権での話などを質問をしながら聞いてくれて、あっという間に時間終了。

終わった後も、え?私シンクロの話しかしてない・・と呆然。終わってしまったのでもう結果を待つのみ。みんなで最後の東京ステイを楽しみ福岡に帰る。

そしてそして電報での合否は??

合格!

ありがたいことこの上ない。後にわかりましたが、私のシンクロ人生に興味を持ってくれたのはその会社の社長でした。ラッキー。

あの華麗な学歴・職歴の中から私を選んでくれて天使の社長に感謝。シンクロしてて良かった。実は練習や試合のストレスが半端なく大っ嫌いで辞めたのですが、社長のおかげで浄化された気がする。

晴れて成田空港の空港ハンドリング会社で働くことができ、30社以上のカウンター、ゲート、到着エリア、デパーチャーコントロールで素晴らしい経験ができ、強くなれた。

その後オーストラリアでもこの経験を活かし同じ航空会社で雇ってもらえたのも感謝ばかり。

人生無駄はない!

次回は私の人生に大きな影響を与えた夫の話。

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