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大好きなじいちゃんが亡くなったけど、葬式には行かなかった。

年明けに大好きなじいちゃんが亡くなったらしい。
もう100歳をこえていたので、老衰。
でも、葬式には行かなかった。
いや、葬式には行けなかった。
連絡がきたときには、もう葬儀が終わっていたのだ。

大好きなじいちゃんの最後の挨拶に行けなかったなんて、私は本当に非常識だ。
香典を送りたいけど、すべて毒親の懐に入ってしまうと考えると送れない。

どうすれば、じいちゃんに感謝の気持ちを伝えられるのだろう。

じいちゃんの家が毒親に取られた

じいちゃんの家はすごく遠いから、数えられる程しか行ったことがない。
でもすっごく居心地がよくて、大好きで、子どもの頃は『帰りたくない!』とよく泣いた。

おいしいお寿司をとってくれて、毎日ご馳走がでる。
おもちゃもたくさん買ってくれる。
お小遣いもくれる。
全国大会に出ることが当たり前だと思っていた両親とは違い、
『全国大会にでるなんて、すごい!えらい!』
とたくさん褒めてくれた。雑誌の隅に小さく載ったわたしの名前をコピーして、近所に自慢して回っていた。
やさしいじいちゃん、ばあちゃんが大好きだった。

******

10年前、ばあちゃんが亡くなった。
介護をするからという理由で、両親はじいちゃんの家に移住した。
移住したときに、大規模リフォームをした。
もちろん、じいちゃんのお金で。
『介護がしやすいように』と両親が言っていたが、リフォームが終わった半年後に、じいちゃんは施設に入った。
施設のお金はじいちゃんのお財布から。
家の税金、光熱水費もじいちゃんのお財布から。

それなのに、両親はじいちゃんの悪口をたくさん言っていた。
許せなかった。

あー、そうか、両親じゃなくて、毒親だったんだ…と悟った。

気がついたら、家の名義が母親に変わっていた。
大好きなじいちゃんの家が、毒親にとられた。

じいちゃんに会えなかった

数年前、毒親と疎遠になった。
いちばん悲しかったのは、じいちゃんに会えなくなったことだ。
すごく会いたかった。
近くにいたら、勝手に施設にいくこともできただろう。
だが、じいちゃんの施設は飛行機と電車を乗り継いでいかないといけない。
しかも、事前に申請をしないと会いにいけないから、毒親と疎遠になる=じいちゃんと疎遠になってしまった。

100歳を迎えた時にたくさんお祝いをしたかったし、会いに行きたかった。

そうこうしてるうちに、訃報が届いた。

じいちゃんが亡くなった(らしい)

 『じいちゃんが5日前に亡くなりました』

兄からLINEが届いた。
地域のお悔やみ一覧をネットで調べたら、葬儀は終わっていた。

兄からのLINEは既読していない。
細かい理由は言いたくないが、兄のことも大っきらいなのだ。
わたしが両親を毒親と呼ぶ理由に、兄もある。
私が小学生の頃、兄は、ジャニーさんだった。
と言えば、わかってもらえるだろう。

そんな大嫌いな兄から5日後に報告が入る形になるなんて、ショックだった。

大好きだったじいちゃんの葬儀に行けなかった。

すごくショックだった。
わたしは非常識だ。悔しい。
香典を贈りたいが、全て毒親の懐に入ると思うと、送れずにいる。

葬儀にでなくても…

弔うということは、葬儀にでるということなのだろうか。
私みたいな事情で、葬儀にでれなかった人もいるのではないだろうか。

(知らせてもらえないから)お墓参りにいくこともできないけど、でも、じいちゃんをずっと想っている。
最後に会いたかった。
夢に出てきてほしい。
と、願っている。


晴天の空を見上げ、
今日もわたしは、じいちゃんを偲ぶ。



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