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#129 谷川俊太郎さん(お気に入りを500数える)

2024年11月19日、谷川俊太郎さんが亡くなられたことを知りました。

記事を読み、息子さんの谷川賢作さんの投稿を読み、ご本人の朗読を動画で何本も見て、家にある本を探しました。すぐ取り出せる場所で雑誌を見つけました。

本棚から本も何冊か見つけました。

本をしまっている箱にも何冊かあるはずです。

こんなに好きなのに、この企画「お気に入りを500数える」に書いていなかったなぁと思いました。


思いがけないほど大きな喪失感があり、私はこの喪失感を抱えつつ「わたしにとっての谷川俊太郎さんとは?」を考えつづけました。


ピッタリくる言葉は、
まだみつかりません。

*****
初めて谷川俊太郎さんにお会いしたのは、原宿のクレヨンハウスでした。
たぶん昭和52〜53年。まだ表参道沿いにお店があったころです。

高校から歩いていける場所にあるこの書店に私は夢中になり、時間があればのぞいていました。ある日、お話し会が行われることを知り申し込んだところ、第一回のゲストが谷川俊太郎さんだったのです。

どんなお話だったかは残念なことにまったく記憶にないのですが、生まれて初めて買ったサイン帳の1ページ目にサインしていただいたことは鮮明に覚えています。

第二回のゲストがクレヨンハウス主催の落合恵子さんで、またサインをいただきました。

お二人のサインだけが入ったこのサイン帳を私はなくしてしまいました。

当時クレヨンハウスが発行していた通信は残っているのに、サイン帳はなくして残念すぎます

落合恵子さんとクレヨンハウスの追悼文はこちら


二度目にお見かけしたのは、新宿駅の駅構内。ハッと思って「谷川俊太郎さんですか?」と声をかけてしまいました。

谷川俊太郎さんは私を見て「そうですが、何か?」とおっしゃいました。咎めるでも微笑むでもなく淡々と。
そのとき私は何も言えなくなり、「いえ、そうかと思って。。。失礼しました。。。」と頭を下げました。

紺の制服に三つ編みの高校生の少女は「ファンなんです」などと、それらしいことを言えませんでした。


うまく話せなかった反動か、私は詩集を何度も何度も繰り返し読みました。
あの佇まいに少しでも近づきたかったのかもしれません。


十冊ほど持っていた詩集は、手元にはありません。別れた夫のことをまだ大好きだったころ、飲み代を作ってあげたくて古本屋に売ったのです。
強い雨が降っていて、古本屋に行くまでに本を入れた紙袋が破れたらどうしようと思いながら歩きました。

本を置いていたスペースには、子どものおもちゃが並ぶようになりました。


それから後、谷川俊太郎さんは絵本を通して我が家に登場するようになりました。
私が一番好きなのは『とぶ』という絵本でしたが、長男は『これはのみのぴこ』がお気に入りで、すぐにそらんじられるようになりました。

和田誠さんのかろやかで洗練された絵と、谷川俊太郎さんのシンプルで柔らかい言葉が組み合わさった絵本は、非常に調和が取れていて、読んでいて楽しくてしかたありませんでした。
詩と絵が一つになってワクワクを届けてくれるのです。

今ごろは和田誠さんとお話しされているでしょうか。

*****
私は今はこの本を読んでいます。
有名な「朝のリレー」も収録されています。

この2冊の本は、右から読むと詩集、左から読むと絵本なのですよ。こういう遊び心も素敵ですね。


直前までお仕事もされていて大往生だと分かっていても、まだまだ言葉を生み続けてほしかったです。

たくさんのきらめきをありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。

よがあけて あさがくるっていうのは
あたりまえのようでいて
じつは すごく すてきなこと

谷川俊太郎『あさ』あとがきより



最後までお読みくださり、ありがとうございました。
***

お気に入りを500数えはじめたきっかけはこちら


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