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誕生日の母の言葉

60年近く生きてきたなかで一番印象に残っている誕生日は、17歳の夏。

友人たちからたくさんプレゼントをいただいたのも嬉しかったが、家に帰ってビックリしたことを今でもよく覚えている。

誕生日の朝、学校へ行く前に「小さいころは友達を呼んで小さなパーティーを開いたりしてもらったけど、そういえばママからお祝いってもらったことないよね~」と言うと、母は「そうね~」と普通に返事をした。


学校から帰る時間には母は仕事でいない。鍵をあけて、西日しか入らない部屋に入ると、蛍光灯に垂れ幕がぶら下がっていた。
垂れ幕? 四畳半の部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台の上で、ひらめく白く長い紙には達筆な母の字で大きくこう書かれていた。

よくぞここまで生きてきた

これが誕生日の言葉?
私は一人で笑い転げて、母のユーモアに脱帽した。

自分一人で育てた一人娘が17歳になったことを思ったら、この言葉が浮かんできたんだろう。それを垂れ幕に書いちゃうのが、他の家のお母さんとは違う、母の母たるところなんだ。

私が17歳になれたのは、いろいろな人に助けてもらってきたからだと、母は思ったんじゃないだろうか。垂れ幕を笑い話にしたまま、真意を問う前に逝ってしまったけど。

クラス会や同期会に出ると、たいてい誰かが母との思い出話をふってくれる。みんなの頭の中に、快活で人好きな母が残っている。

貧乏だったけど貧しくはない、むしろ豊かに育ててくれた母への一番の親孝行は、私がいい友だちに恵まれたことじゃないかなあと勝手に思っている。

※2011年7月7日Facebookノートに掲載したものをリライトしたものです。

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