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東京オリンピック2020:ボランティアの裏側から見た特別な夏

今日はオリンピックの話をしたいと思います。
オリンピックといっても、この前終わったバリ五輪ではなく、東京オリンピックの話です。
4年前じゃなくて3年前でしたよね。
コロナ禍、恐る恐る開催したのを覚えていますか。

ビーチバレーボールのボランティア

私、東京オリンピックのボランティアをしていました。
割り当てられたのは、お台場でやっていたビーチバレーボランティアの受付をするボランティアスタッフです。

ボランティアのお世話が、なんか全然選手とかに関われるようなボランティアではなくて、ちょっとがっかりしたのを覚えていますが、それでも楽しかったです。

ウェアを着ての移動

多分ボランティアスタッフが家からそのままウェアを着て会場に入ることを想定していたと思うんですけれども、当時オリンピック開催に反対する声も多くて、正直ウェアで電車に乗るのちょっと怖かったです。
なんか後ろから石投げられそうな恐怖というんでしょうか。

こんなコロナ禍にオリンピックやりやがってみたいな人たちもいましたしね。
なので、私は着ているんですけど、上は中にウェアを着て、その上から何か羽織っていっていました。

で、帰りは駅のトイレで着替えて、まあ汗だくですしね、帰るという感じです。

選手との距離

何かビーチバレー、試合見れたの?とか言われるんですけれど、全く見れませんでした。
選手とも触れ合えませんでした。
選手が入るエリアってアクセス権がぜんぜん違うんですね。

一段階厳しいもので、我々、会場の入り口付近の小屋の中にいて、選手が車で入ってくるところとか、あと、練習コートに行くためのカートに乗るところに行くとか、歩いて練習コートに行くところを遠くから眺めるみたいなことができたんですけど、全然見えませんでした。

試合を見る機会

管理者の方、都庁の方だったんですけど、なんとかボランティアスタッフにも試合見せてあげたいということで、いろいろ動いてくれていたみたいなんです。

けれども、ちょうどその前に、何の試合だったか、バスケかなんかでしたかね。
ボランティアスタッフがいっぱい観客席にいて、チケット当たったのに見れなかった人とか、なんかボランティアが密になっているみたいな、テレビに映ってすごいクレームが来たみたいな話、覚えてますか。

そんなことがあったので、なんかより厳しくなってしまって、試合を見ることができませんでした。

ビーチバレーボール会場の特徴

ビーチバレーボール会場って、360度コロシアム型になっているんです。
そのコロシアム型の上に、なんて言うんでしょう、カメラが中央無人に走ったりとかしているので、どこにいても映ってしまうんですよね。

中継でそんなに注目される競技ではないんですけれど、隠れて見る場所がないって言ったら、隠れて見る場所がないために、こっそり見ることもできなくって。

無観客開催の残念さ

あんなに立派な会場作っても、観客席がガラガラということに、もうほんとに残念でなりませんでした。
あとは、観客席で案内をするスタッフのボランティアというのもいたんですよね。
でも、その人たちは仕事がなくなっちゃったわけですよ。
無観客になっちゃったので。

ボランティアの工夫

で、その人たちは、でも、せめて何か参加したという風に言いたいという人もいるだろうし、もしよろしければ別のことをやりませんかということで、いろんなところに1日、2日割り当てられたりとかしていました。
参加したって言えたり、なんか記念品もらったりとかね、しますからね。

ビーチバレーコートの見学ツアー

いろんなことがありましたね。
で、試合は見れなかったんですけれども、もうとにかくですね、その管理者の方の精一杯の計らいで、人がいないビーチバレーコートの見学ツアーみたいなのを、班を分けてやってくれました。
試合がやっていないコート。

そこに何班かに分かれて見学して、記念写真撮ったり、ここから写真映えしますよとかって言って、みんなで写真とったりしました。
すごくありがたかったです。

食堂の管理

あとは、食堂の管理もありました。
2か所ありまして、会場内はビーチバレーだけでも広いんです。

メインの会場の方は受付から徒歩10分以上歩いたのかな。10分ぐらいかな。
海辺の炎天下をひたすら歩かなきゃいけないので、そこそこ大変なんですが、そうは言っても10分。
暑いのがね。

お弁当とドリンクの配布

お弁当は、インスタとかの情報、SNS情報なんですけれども、地域によって、会場によって内容違ったみたいです。
横浜会場とかって崎陽軒シウマイ弁当とかあったみたいで、なんだなんだそれは、この格差の違いはなんだ。

我々食べてたのは、うん、そうですね、原価250円ぐらい。
塩むすびのぞくですけど。
イオンのハンバーグ弁当みたいな感じでした。

それが5種類ぐらいでしょうか。
肉とか魚とかいろいろあるんですけれども、その5種類をローテーションして、また会いましたね、唐揚げさんとか、また会いましたね、魚のムニエルさんみたいな。

ドリンクコーナーの工夫

食券にドリンク1本付いてくるんですけど、スポンサーさん、コカ・コーラだったので、好きなドリンクを1本取れます。
最初の頃って、何のドリンクがあるのかわかんないから、ドリンクなにしようっていうので、渋滞が起きてしまうんですよね。

なので、この渋滞緩和するために、なんか手前にこういうドリンクありますよって。
その列の並んでる間に決めてもらえれば、スムーズに欲しいものをとっていけるので、なんかそういうことできないですかねってコカ・コーラさんのスタッフの方にお話したり、そういう工夫はもう勝手にやってました。
意見言うだけタダですからね。

コカ・コーラスタッフの印象

もうさすが天下のコカ・コーラ。
皆さん、補充している方たちのユニフォームとかがめちゃくちゃかっこいいんですよ。
赤いユニフォームに、黒い短パンか、キャップかぶってビシッとしてて。

赤い手袋、商品を出すときの手袋を、当時、特にコロナだったので、直接手で触るのって、飲食物に触るのって、御法度みたいな雰囲気ありましたからね。
そして、その赤い手袋もかっこよくて。

警察との交流

懐かしい思い出としては、警察の警備に入っている各県警の方たちとも仲良くなったのが思い出です。
勝手に話しかけてました。
向こうから話しかけるのは難しいだろうなと思ってたので。
近くでいる県警の方たち、ちょっと忘れちゃったんですけど、香川と鹿児島とどこかの県警3県の方たちが多分ビーチバレー会場入ってたんですよね。

VIPの来場

ローテーション組んでも炎天下立っていたりするわけです。
影があるとこは影の人もいましたけど、要人が来る時もありましたしね。
その時はもう無線が色々なってて、こっちにも聞こえたりするので、なんかもうすぐVIP来るらしいよ。みたいな。

そんなことがピリピリした雰囲気がボランティアスタッフにも伝わるんです。
誰だ誰だ誰だ?あの車じゃない?

みたいな車が入るとこはちょっと見えたので、話をしたりしていました。面白かったですね。

アイスの余りものの活用

県警の方たちにもなんか最後の方はいっぱい納品されてくるんですけど、消費できなくって。
アイスとかって冷凍庫入れとかないと溶けちゃうじゃないですか。

もう入りきらないからなんか食べなきゃみたいな感じになって。

警察の人たちに、すいません、アイス余っちゃってて困ってるんですけど、食べていただけませんか。お昼や休みの時とかにとかって言って、もう1箱持ってってもらったりとかで。
最初は断るんですよ、皆さんもらっちゃいけないと思って。

だけど、こちらも冷凍庫入らないし、次来ちゃうし、困ってるんです、食べてくれると大変ありがたいんですが、という伝え方をすると、それそれならって受け取ってくださるんですよね。

警察官との交流

結構皆さん話しかけるとフレンドリーで、職務の範囲内でですけど、色々楽しいなって。
今どこに泊まってるんですか。
とか、逆に残っている方たちが大変なんだよとか、そういうお話してるの楽しかったです。

私、祖父母の家が香川だったので、その香川県警の方たちとは、うちの祖父母の家が実はここにありまして、そうなの?なんていう話をしたりして、ちょっと盛り上がったりしたのも思い出です。
やっぱりいろんな人とお話すると楽しいですよね。

チームワークの大切さ

みんな1つの目的に向かって進むのは、楽しく盛り上げようって思っている人たちばっかりなので、楽しかったです。
進む進むw
それぞれみんなができること探してやっているのは、見ず知らずの人たちの集まりではあるんですけど、やる気のある集団、よかったなって思います。

思い出作りの工夫

最後はやっぱりね、思い出作りたいというか、写真とか撮りたいじゃないですか。
受付のところに写真スポット作りました。

最初来たらチェックインするんですけれども、そのあと、ウェルカム写真スポットみたいなのを作りました。
マスコットを貼り付けたり、ぬいぐるみ、バレーボール置いて、それをもって写真撮れるところとか、ホワイトボードにもこう色々絵を描いたりとか、飾り付けしてなんかお洒落みたいなこともやったりとかも。
シャッターも押しましたし、笑顔にさせていい写真を撮る、いかにボランティアスタッフ盛り上げるかっていうことに我々は注力していました。

正解があるものではないから、絵が上手い人は絵を描くし、飾り付けが得意な人は飾り付けするし、私みたいにそういうのが苦手な人は言われた通りに作り物を作るとか、私はお水を配る方やりますとか、色々みんなが得意なことをやっていました。

ブルーインパルスの思い出

そうそう、ブルーインパルスの写真も出てきて、オリンピックの色の煙を出しながらブルーインパルス飛んでましたよね。
なんかあの時、コロナ禍で空気が悪い中、久々にみんなが上を向いて笑顔になっている姿本当によかったなぁと思ったことを覚えています。

本当に楽しかったです。
パリオリンピックを見ていて、もう当時話せなかったこと話してもいいかなぁと思って色々と書いてみました。
パリオリンピックに関わった皆さんも本当にお疲れ様でした。
楽しい時間をありがとうございました。

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