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【自己紹介】天才が嫌いだ。

先日、コルクスタジオ全体のフィードバック会に出た。

作家と編集は、多くの場合、一対一で打ち合わせをするんだけど、コルクはちょっと違う。
一人の編集さんが何本も作品を読み、その後、作家全員参加の打ち合わせが開かれる。
自分以外の作品の評価や直しを聞くことで、みんな一緒に成長していける、という考えからだ。

先日の会には、20人程の作家が参加していた。

その中に『天才』と呼ばれる子がいた。
その子のフィードバックは、数分で終わった。
直す所が無かったからだ。

その子と、編集さんのやり取りは簡潔だった。
『天才』の考えることは分からない、
ってよく言うけど、まさに、天才が何を考えて創作してるのか、気持ちが見えない会話だった。
自分だったら、もっと質問するし、もっと作品のことを話すだろうなって思った。

会の最後、作家全員がその日の感想をチャットに書く。
ちょびも書いた。
チャット欄には書き切れない量の想いがあった。
だから一旦、メモ帳に。
今自分が抱えてる課題、マンガに対する想い、上手く描けないこと、質問、疑問、不安、全部。
大量の文章になった。

みんなも、それぞれ、感想をチャット欄に投稿した。
長文が流れる中、ポツンと一つだけ、目立つコメントがあった。

『嬉しかった。』

超短文、一言、たったそれだけ。
天才と呼ばれる子の感想だった。

その感想を見て、なんだかちょっと、ムカついた。
いや、だいぶかな?
怒りとか、嫌悪に近い気持ちになった。

どうしてそんな感情が湧いたのか、
今日は、その気持ちを、記事の中で掘り下げていこうと思う。

天才は好き。単純に好き。
すごいと思うし、憧れる。友達になりたいとも思える。

時間が無限にあるならね。

だけど、命は有限。
取り返せない時間があって、才能がある人を、もう追い越せない。
その差を感じると、苦しくなる。

マンガは自由だ。
楽しんで描くもの。己を表現するもの。
自分も知らない、どこかの誰かに届く手紙。

だから、勝ち負けじゃない。

分かってるのに、天才がいると、その気持ちがどんどん曇っていく。

だから本当は、見たくない。
付き合いたくない人だ。

天才さえいなければ、心は平穏なまま、創作活動ができるのにって思ったりもする。

そういえば、北野武は、浅草中の芸人に
『お前さえいなけりゃな』『お前がいなけりゃ良かった』
と言われ続けたらしい。
今だって、そう思われてるかもね。

天才と呼ばれる人たちは、称賛と同時に、そんな否定を引き受けているのかもしれない。

『あんたさえ生まれてこなきゃ』
みたいな、酷いことを言う毒親がいたら。
その子供はきっと、親の前で話さなくなる。無口になる。
否定されるのが怖くて、関わることを止めるだろう。

あの日チャット欄に
『嬉しかった』の一言しか、書かなかった天才は、
もしかしたら、『お前さえいなけりゃ』と言われ続けてきたのかもしれない。
『お前さえいなけりゃ』と思う人たちがいる世界で、無口になっていったんじゃないのか?

そう考えた。
そう考えた上で、やっぱり、天才が嫌いだ。

『お前さえいなけりゃ』なんて気持ち、誰が好き好んで抱くだろう。
誰も、そんなこと思いたくない。
そんな気持ちになんて、なりたくないよ。

でも、そんな自分の最低な気持ちと戦ってる。
嫉妬と劣等感と自己嫌悪でぐちゃぐちゃになりながらも、ペンを握り、人と関わりながら、マンガを描いてる。

だから、天才も戦えよ。閉じていく心と。
否定され続けてるのは、天才だけじゃない。

北野武が、その本の中に書いてた。
きっと、浅草の芸人に宛てたんだと思う。

『売れない、評価されないっていうのは、
人格否定され続けてるのと同じだ。
それくらい苦しいことだ』

その苦しみが、何で分かったんだろう?

チャップリンは、貧乏人を演じることが多かった。
人生の大半を『金持ち』で過ごしたチャップリンに、なんでその気持ちが分かったんだろう?

人の苦しみが分かる天才は、
恐れもなく、世界と関わり続けてる。

すごく、かっこいい。

ちょびは、天才が孤独ぶるのが嫌いなのかも。
諦めた奴は嫌いだ。

だから、話すことを止めないでほしい。
無口になんてならないでほしい。
関わり続けてほしい。

あの日ちょびは、そんなふうに、怒ってたのかもしれない。

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