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「融けるデザイン」を読んで

インタラクション研究者である渡邊恵太さんの著書「融けるデザイン ハード × ソフト × ネット時代の新たな設計論」を読んだので、まとめてみようと思います。

私が今までモヤっとしていた、以下の問いに対する大きなヒントになったと感じました。

融けるデザイン_note


【前提1】 私たちが生きる時代 ~コンピュータとは何か~

様々なものが機械に置き換えられ、「機能」が価値を持った時代は終わり、体験が価値を持つ時代になりました。

融けるデザイン_note

そのキッカケとなったのが、コンピュータの普及です。コンピュータは、高速度で計算やデータ処理をすることで《何でも表現可能》であるという特性を持ちます。この本では、このようなコンピューターの本質を「何でも表現可能な装置、メタメディア」と表現します。

コンピュータは、他のいかなるメディア ー物理的に存在しえないメディアですら、ダイナミックにシミュレートできるメディアなのである。様々な道具として振る舞うことが出来るが、コンピュータそれ自体は道具ではない。コンピュータは最初のメタメディアであり、(中略)表現と描写の自由を持っている。( アラン・ケイ, 1992 )

しかし、コンピュータのメリットである《何でも表現可能》という側面は、裏を返すと、上手く設計しないと使えるものにならないということである、と著者は言います。


【前提2】 「体験」の捉え方

体験が価値を持つ時代とざっくり述べましたが、「体験」とは幅広い意味に捉えられてしまう言葉であるため、著書ではこの「体験」を的確に捉えるため3つのレイヤに分けています。前提として理解するととてもスッキリしたので、著書にあったものを引用して以下に記します。

融けるデザイン_note_レイヤの説明

この本では、文化レイヤ現象レイヤに相当する部分の設計論になります。


インターフェースとは何か ~「融ける」ために必要な透明性~

まず、デザインを理解するためには避けて通れない、「インターフェース」についての理解を深めていきます。ここでキーワードとなるのが、「透明性」です。ここでは、様々な視点から「透明性」が捉えられており、3つに要約して記します。

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1:道具の透明性

人間は過去から現代に至るまで、道具を発展させてきました。道具を発展させることは、人間の身体を拡張させることでもありました。

石器時代のような道具の使い方は、原因と結果が直接的でしたが、現代の道具は人と対象の間に機械や情報が入り込んで、人間の操作が対象に対して徐々に間接的になり、何をしたらどうなるのかの関係性が複雑になってしまいました。

そこで大切なのが、「道具の透明性」です。「道具の透明性」とは、道具を利用している最中にそれ自体を意識しないで済む状態、あるいは意識しなくなるような現象のことで、例えると、ハンマーのように手に持つとそれ自体を意識せずに、釘を打つこと(対象)に集中できるような在り方です。

融けるデザイン_note_道具の透明性

上の図は私が考えて挙げた例で、「道具が意識されず(透明化し)、身体が拡張され人間が力を得られている状況」を表しています。

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2:環境の透明性

(広義で捉えた)技術は、環境に融け込んでいることもあります。例えば、「雨や風をしのいだり気温を一定に保つよう設計された建築」や、「長時間にわたる作業を可能にするよう設計された椅子」などが挙げられます。こういったものは、場所に依存し、誰でもアクセス可能な公共性を有することが多いです。

最も完全な技術とは、表面に出てこない技術である。日常生活という織物の中に完全に織り込まれてしまっていて、個々の技術自体が私たちの目に見えなくなっているものだ。( M. Weiser, 1991 )

情報技術に限って言うと、これらは大きさという制約を受けないため、身体側にも環境側にも実装でき、目的に応じて設計していくことが求められます。そして、以下の引用のように、環境に実装していく際に重要な点が書かれていますが、それは3つめのキーワードとも繋がっていきます。

情報技術は小型化し身につけられるようになったからと言って、単にウェアラブルになるというわけではなく、環境的存在としての情報技術も意義のあることなのだ。ただしここで重要なことは、「人間の知覚や行為にとってどのように環境に配置されるか」である。(「融けるデザイン 」, 渡邊恵太 )

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3:アフォーダンス - 身体と環境の透明な接続

アフォーダンスとは、「環境にあたる行為の可能性」のことを指します。ある行動に無意識に向かうようデザインすることが、良いデザインであるとし、それをアフォーダンスとしました。著者は、良い道具とは以下のようなものであるとしています。

人と環境は分離されておらず、知覚と行為によって密接に接続していると捉え、行為が環境の価値をリアルタイムに引き出し、そこに人や動物が「可能」を知覚し、次の行動につながる。さらにその人と環境の間に、行為だけでなく、行為を拡張する道具が介入すれば次の次元の「可能」を知覚し、また行為へつながる。良い道具は特にこの可能の知覚が優れている。(「融けるデザイン」, 渡邊恵太 )

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インターフェースは人とモノ /  技術の接点であり、利用者にとってはインターフェイスだけが知覚され、行為はそこで起きます。インターフェイスがなくなることはなく、境界の場所が変わるだけであり、その境界の場所で起こる活動(知覚行為)から逆算したインターフェースの設計が求められます。


道具の透明化についての詳細

良い道具とは可能の知覚が優れており、意識せずとも人間の力を拡張できている、つまり「透明化している」と述べましたが、具体的に何がポイントになってくるのか、これを以下でまとめていきます。

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自己帰属感

自己帰属感とは、「この身体はまさに自分のものである」という感覚であると筆者は言います。そして、私が上に挙げたコンピュータ操作の例の状態に至るまでに設計されている自己帰属感について、また、そうすることでどのような体験が得られるのかについて、以下のように述べられています。

カーソルが特別なのは、マウスとの「動かし」と画面の中の動きが連動し、自己帰属感が立ち上がるからである。カーソルまでが自己の一部となることで、人はカーソルを意識しなくなり、対象の方を意識する、つまりカーソルは透明化する。だからこそカーソルの登場は「直接操作」を実現し、自己が画面の中にまで入り込んで情報に直接触れているかのような感覚へと辿り着く。(「融けるデザイン」, 渡邊恵太 )

そして、自己帰属感を据えた道具利用の先に、私たちが得ている体験を著者はこのように言っています。

自己帰属した道具は透明化し、意識されなくなる。とすると何も感じない世界だろうか。そうではない。自己帰属感がもたらすのは、そこにある新しい知覚世界だ。(略)世界は道具を通してユニークに知覚されている。そこに新しい体験がある。これが身体とテクノロジーのもたらす体験なのだ。(「融けるデザイン」, 渡邊恵太 )

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UXデザイン

上記を踏まえ、UXデザインとは何か、に対する言及が以下のようにあったので引用します。

道具を利用し、パワーを得ている恩恵の実感。その先にある新しい「知覚世界」の体験。ハンマーが広げる自己の拡張世界の体験。鉛筆という道具が広げる新しい知覚世界。接点が変わる。インタラクションが変わる。知覚行為循環が変わる。人ー環境システムが再構築される。道具は体験を拡張し、広げる。これがUXデザインである。(「融けるデザイン」, 渡邊恵太 )


他にもこんなことが書いてある

ここまでで記したことが、この著書に書いてあることの基礎です。著書の後半では、上記ポイントを踏まえ、今の課題や新しい可能性が示されていました。興味深く、知的好奇心がくすぐられることが多く書かれていました。要約すると、以下のような問いに対する論理が展開されています。

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情報を問題解決のための道具にするにはどうすればいいのか

情報を行為・活動に溶け込ませ、環境化するとはどういうことか

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詳細は省きますが、今後社会に生まれてくるものや、それに向けて必要になってくる考え方を得ることができました。


感想

私は大学でマネジメントやエンジニアリング、クリエーションの視点からモノづくりを学んできましたが、この本を読むことで学びの復習になり、さらに学びの中で自分がよく分かっていなかったことも晴れたようでした。今後デジタル領域に関わるデザイナーとして社会に出ていくので、ことあるごとにこの本に立ち返り、今後の指針にしたいと思います。


お願い

このまとめは、今後も読み直しながら修正・編集をする前提でアウトプットしているので、不完全な部分もあるかと思います。この本を読まれたことがある方で、ここにまとめている内容についておかしい部分があれば是非ご指摘いただけると嬉しいです。


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