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埴輪はほぼないけど埴輪から社会や歴史を考える「ハニワと土偶の近代」(2024年11月)
11月某日 東京国立近代美術館「ハニワと土偶の近代」12月22日まで
この秋はハニワはにわ埴輪と東京の美術館と博物館が盛り上がっていたので行ってきた。
先に近代美術館の方へ行ったのはTBSラジオ「荻上チキsession」で学芸員の方の解説を聞いて、これは絶対面白そうだ近代史と埴輪という切り口が面白そうだということで早めに行った。
結果からいうと、国立近代美術館の展示は埴輪や土偶を軸に歴史、社会文化史、美術史・・・など多面的な面白さがあって大満足。ただ作品を見るだけでなく、その時代背景や文化世相を考える企画なので情報量が多く刺激的な展示だった。あの単純な造形の”はにわ”にこんなに歴史が詰まっているとは!
そもそもハニワは、教科書に載っているような人型が出てきたのは後期で、元々は墓を取り囲んでいた筒形の円筒、土管である。その後に死後の家として家形、そして動物、人型などがバリエーションが増えお墓を守るものとして作られたのが埴輪。円筒は墓を守り、その後造形技術が進み家形ができ、さらにすすんでから人形ができた経緯がある。・・・なのだが、なぜか人型埴輪に我々のハニワイメージが固定している。
自分の中で埴輪はこのように弥生時代の素朴な時代の人形出土品ぐらいに思っていたが、近代国家樹立の明治期には国体の確立のために使われていたことに驚いた。日本が近代国家になるために我々の国の起源を示す、近代国家になるには歴史に基づくストーリーが必要だったのだ。この時代の政府においては、歴史を伝えるには神話+見えるモノが必要、見えて納得できる形があるもの。そのために使われたのが、弥生時代のハニワだったというわけだ。その時に家形や筒形ではなく「祖先」を具現化していた埴輪は重要なアイテム。
さらに驚いたのが、古代由来で発掘されるものだと思っていた埴輪が、なんと明治期に作られていたこと。明治天皇の崩御で1000年以上ぶりに埴輪が作られた。伏見桃山御陵は火葬にせず土葬で古来の天皇スタイルにし、さらに時の芸術の先生たちに埴輪を作らせた。そのレプリカが今回東京国立博物館の方で展示されていた。こうやって「古代から続く国家の正当性」が視覚的にも固められていく。
そしてその時に殉死したのが乃木希典。世間の人々は殉死した乃木と、埋葬された埴輪のイメージを重ねていく、、、という話のあたりはなるほど〜と思いつつも、ちょっと実像がわかりかねた部分ではあった。ここら辺、もっと知りたい。(情報量が多いので見逃したかもしれない)
戦争が始まると、さらに埴輪は戦意高揚に積極的に利用されていく。
「(埴輪は)子供が死んでも泣かない、若々しい、優しい、日本人の理想の姿である」(後藤守一)。都合よくその素朴な人型埴輪が利用されていく。
高村光太郎まで、「埴輪の顔は南方で戦死した兵士のようだ」などと書いている。
なんじゃその都合の良い解釈は!と憤慨してしまうが、プロパガンダ、その当時はこれが共感を生み納得があったわけですよね、世情としては。
そして一転して敗戦。国の成り立ちは神話ではなく科学に基づいた実証的な歴史が求められ(考古学ブーム、発掘ブームもあった)、埴輪にもイメージの再建が必要だった。「イメージを直すことは、戦後社会の要請であり歴史の修復であった」と。埴輪は埴輪のままなのだが、イメージ再構築で埴輪はまたフィーチャーされる。戦後も忙しい。
アートシーンでの一つのきっかけはメキシコ美術展が1950年にあり、そのプリミティブな美しさに日本のものを見直す動きがあったようだ。メキシコは古代の土着文化と現代美術が融合していてクソかっこいい!我々も日本固有のものの中に世界性を見出そう!、ってことだったのだろう。クラシックでモダン、そんな表現に古来の埴輪や土偶が登場する。このように戦後の目でハニワを捉え直し、戦中のプロパガンダに使われたハニワ像のイメージを上書きしていくことが求められたという解説にはなるほどと思った。
1950年代には陶芸でもハニワ型の前衛的な作品が多々あり、イサム・ノグチの陶芸作品や、ニッコリ笑ったアメリカンポップなキャラクターのような金重陶陽「備前燈籠」(撮影禁止)などが生まれる。
そして、岡本太郎。
素朴な縄文に比べ、弥生は階級社会であるのでプリミティブな美は縄文時代の方にある、という論争が巻き起こったらしい。
「1950年代末、弥生は縄文に追われつつあった」。
この2つが対立項目として扱われてしまったのは、戦後民主主義の平等感も影響しているという。
権力者のために作られた埴輪はすでに封建制の象徴であり、美術表現ではなく、平等ではないと。戦後の自由平等な雰囲気に包まれていたアート界では「埴輪じゃねえわ」となっても仕方なかろう。しかしなあ。。。短期間で立ち位置が変えられてしまう埴輪よ。
そんな先人たちの熱い議論の後に、70年代からはサブカルチャーと結びついて現代に至る。
縄文文化の代表選手・土偶は怪獣や破壊のイメージでゴジラに出演。私は世代的に「ドラえもん」の映画版「日本誕生」が記憶にある。土偶が目からビームを出してきて、土偶に怖いイメージを持ってしまった子供も多いのではないかと思う。
一方、みんなご存知「おーいはに丸」ではかわいいキャラクター化した人型埴輪と、馬型埴輪が出てくる。
ゆるキャラブームになって久しいが、城のキャラクターで当時の殿様(武士ですね)がキャラにされて「xx君」などと呼ばれている(注意:戦国時代の武士)昨今、ハニ丸は日本サブカル界において歴史から登場した最先端?のゆるキャラだったのか。。。
最後の現代アートでは「はにわ物語 1985-2024」がとても面白かった。京都芸術大学の池に沈められた作品の埴輪が、数十年後そのアーティストによって引き上げられるという映像なのだが、結婚式から始まり埴輪の説明で「中身はないが(略)みちあふれたおばさんです」なんてキャプションが付けられた新婦・埴輪さんが登場する。池から引き上げのシーンは感動的なのでぜひ見てほしい。
こうやって戦後も埴輪は突然封建的だとか言われたりカワイイと言われたり、時代によって捉えられるイメージが常に変わり続けた存在だったのかと認識を新たにした。
この展示会、絵画、彫刻、陶芸など多岐にわたる膨大な展示量なので、散漫という見方もされるかもしれないが見応えがありすぎる、有り余る展示だった。
実際の「埴輪」はほぼないが、こちらは埴輪の扱いを通して近代と現代を考察する展示でアプローチが違うものだという前提で行ってほしい。
実物を見てかわいーとかふんわり気持ちよくなって帰るってのは十分満足なんだけど、この展示のように埴輪を通して近代から現代を考える企画は面白いと思いました。割と難しい本を勢いだけで一気に読み終えた感じ。ただ、土偶はあんまり出てこないので、タイトルは埴輪だけで良かったのではと思ったりもした。とにかく非常に情報量が多く、俺の脳みそではすらすらまとめられなかったし消化しきれないけれど、でも面白かった!もうすぐ会期終了、考察好きの人はぜひ!(と大声で言っておきたい)
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(翌週に東京国立博物館で実際の埴輪を見に行った。)
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