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こころに持つ辞書が似ているひと

好きなひとたちの共通項のひとつに「違和感のあることばをつかわない」がある気がする。わたしにとってはとても、大切なこと。

数年前、とある男の子と坂道を登っていると彼は「疲れてしんじゃう」と言った。(わたし毎日登ってるんだけど...?)と思いながら、カジュアルに「死」というワードを盛り込んでくるひとがすごく苦手なことを思い出した。いのちをおとすくらいなら、今すぐ坂道を降りて帰った方がいい。そういえばいつしかその人とは会わなくなっていた。

これは極端な一例だけど、日々使うことばに対して割と敏感なほうで、いちいちことばじりをとらえてしまうこともある。心地よいことばにはすぐ身を委ねて、相手のことをすきになってしまう。

ことばには「考えてきたこと」「大事にしていること」が無意識に反映されると思うから、辞書で答え合わせをするのは意外といい方法なのかもしれない。話していくうちに、その人の辞書がパラパラと見えてくる。ことばを交わしながら相手の人生を少しずつ知っていくのは、その人の辞書を手に入れ、徐々に完成させ、小説を読み進めているようで堪らない。

似た辞書を持つ人は心地良いけど、まだ出会ったことのないような表現を聞くとドキドキして、続きが読みたくて仕方がなくなる。見たこともないような辞書に出会って打ちのめされたい気持ちもある。この人は、例えば気持ちの良い風に吹かれたときになんていうのか、照れたときどんな言い回しをするのか、そういう「はじめて」に出会うたびに、辞書はきらきらと更新されていくのだ。

ああ、面白いなあ、ことばって。


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うれちい