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麒麟旅004-2(2023.02.26 安土城跡、明智左馬之助湖水渡碑)

※ これは過去の旅の備忘録です
※ 現在とは異なる情報もあるかもしれません
※ この記事は長くなります
※ 単純に「行く」ことに重きを置いているので見落としてしまう場所もたくさんあります…

麒麟旅004-2(国友鉄砲ミュージアム)の続きです。

麒麟の鉄砲も見れず、琵琶湖の船で「広いのう」もできず、二度も膝から崩れ落ち心が折れかけましたが、このまま帰るわけにはいかん!と意地になり予定変更、安土城跡へ向かいました。

ですが、今思えば(2023.10)、靴も鞄も何もかも山城に登るようなものではありませんでした。おまけに途中で雪も降っていたということは、ますますお気軽に行ける状態では無かったと思います。でも山城に麓から登ったことがなかったので、この時は思いもよらず…でした。

JR長浜駅を出発し能登川駅で乗り換え、安土駅へ。

JR安土駅

安土駅を北口から出ると、素敵な織田信長公像と可愛い信長くん(たぶん)がお出迎えしてくれました。

安土駅北口の織田信長公像
安土駅北口の信長くん(たぶん)

安土城跡へ向かう前に駅北口の観光案内所へ。
そこで『信長と光秀の時代〜戦国近江から天下統一へ〜』(滋賀県立安土城考古博物館、令和2年度春季特別展)という本を見つけたので即購入!アプリの存在も知り即ダウンロード!観光案内もいただきました。

『信長と光秀の時代〜戦国近江から天下統一へ〜』
(滋賀県立安土城考古博物館、令和2年度春季特別展)
アプリ「安土ぶらり まちあるき」
観光案内「信長ゆかりの安土城下を歩く」

いよいよ安土城跡へ。登城するなら15:30までに入るようにとのアドバイスをいただいたので、マップで確かめると、駅から城跡まで徒歩30分程度。やれる!と意気込んで向かいました。

北口を北東に進み、間もなく安土山が見えてきました。

途中、見えてきた安土山

住宅街と安土西生来線を抜けた後は、ひたすら田の間を真っ直ぐ歩くだけだったので、安易に考えていましたが、ここから大変でした。

ココ(安土山)を目指してひたすら真っ直ぐ

上の写真では分かりませんが、とにかく風が強い!
寒い!体がブルブル震える…!
先2つの衝撃に加え更にこんな状況…。私は何してるの…?と辛くなりましたが、引き返すこともできないので頑張りました。

でも、田を抜けると風も次第に収まりました。
頑張って良かった…。

安土城跡の入口
入口手前の石碑と説明
入口手前の説明

安土城跡料金所で御城印も購入しました。

安土城跡料金所で購入した御城印

ただ、「安土城」の御城印がどこで買えるかはわかりませんでした。調べる余裕も無かった…。これもまたの機会に…。

いよいよ登城開始。目の前に広がる大手道に感動!
テレビで観たのとおんなじだった(当たり前)。
途中、左右の伝前田利家邸跡、伝羽柴秀吉邸跡等に寄りながら登りました。

大手道 両サイドに利家と秀吉の邸跡等
天主から降りてきた時は左の秀吉邸跡が出口です
伝前田利家邸跡
伝前田利家邸跡の虎口
伝羽柴秀吉邸跡
伝羽柴秀吉邸主殿
上から見た大手道と伝羽柴秀吉邸主殿(右)
(矢印は進行方向)

大手道では築城に使われた石仏もたくさん見かけました。

大手道跡の石仏

どんどん登ります。

先はまだまだ
伝武井夕庵邸址
遠くまでよく見えました
伝織田信忠邸址
まだまだ
伝織田信澄邸址 伝森蘭丸邸址
黒金門跡
黒金門跡
黒金門跡
築城に使われていたらしい仏足石
二の丸址、織田信長公本廟入口
天主閣址から見た織田信長公本廟
本丸西虎口

思ったよりだいぶんきつい。
凄い息切れの中、やっと本丸へ…。

でも今度は、本丸から天主への道のりがわからない。しばらく立ちすくんでいたら、後から来た方が下の写真の矢印方向へ。有り難かったです…。

正面の階段の登って左が天主閣址
本丸跡の説明板
天主閣址へ向かう階段から見た本丸

ここでふと…
本丸か…本丸なら十兵衛も来たな たぶん…
と、しばし麒麟に思いを馳せました。

そしていよいよ天主閣址へ

天主閣址に上がる階段
天主閣址(「ココ」を上がり右に行くと展望できます)
安土城天主台跡の説明

ここから更に頭が麒麟モード

以前から、「安土城に来たら坂本城方向を見る」ことを目標にしていたので、コンパスとマップで坂本城方向を確認し始めました。

天主閣址を過ぎ右に曲がったところから坂本方向
同じく長浜方向

安土城から坂本城が見えていたのか知りたい。

近場の岩にも登ってできる限り見渡しましたが、結論は、自分の背も低いし天主閣のてっぺんに登ったわけでもないから見えない、そもそも木に遮られる…でした(すみません…)。

反対側の天主閣址端っこから見ても見えませんでした。

天主閣址の端っこから坂本を望む(見えない)

でも頭はすっかり坂本のことでいっぱい。
帰路に着くまで続きました。

下山開始

天主閣址を戻って降ります

黒金門跡の先まで戻り、その後は摠見寺跡方向から降りました。

途中にある織田信雄公四代供養塔
下りは足がガクガク でも降りるしかない
信長の菩提寺摠見寺跡
摠見寺跡の説明板

摠見寺の近くに見晴らしのよいところがあったので
また坂本に思いを馳せました…(でも見えない)

摠見寺跡付近
どんどん降ります
二王門が見えてきました
巨大な岩もありました
二王門と木造金剛二力士立像(左右)
摠見寺二王門の説明
まだまだ降ります

石段が続き足がガクガク、でもだいぶん降りてきたな…と思っていたら、ここからが一番きつかった…泣

原因は靴、雪で足元が悪いのに普段靴で来たのが間違い。というか山城というものを知らずに来たのが間違い…。ぬかるみが多く泥が滑る。転びたくない。◯にたくない。

いろいろ反省しましたが、とにかく怪我をせずに降りねばならぬので、ここからは写真を撮ってる場合ではなくなりました(後日、丹波の金山城に登った際には、安土城は登りやすいほうかもしれないとも思いましたが、この時は必死でした…)。

そして…ゴール!(気持ちは「脱出」!)

脱出!(下山、つまりゴール)
大手道の登り口に出ます

良かった!◯ななかった…!
(本気でやばいと焦っていました)

料金所から出る時に、スタッフの方に「後ろにまだ誰かおられましたか?」と尋ねられたので、最後だったのかもしれません。出たのは17時ころ。概ね2時間かかった気がします…。

ちなみに小学生も何人かいて、ひょいひょい進んでいくので、若いって凄いなあと改めて感心しました。

そして再び安土駅へ。
そうだった。田の間が寒いんだった…泣
でも、頭の中がまだ「坂本は見えるのか?どっちが坂本なのか?」でいっぱいだったからか、もしくは安土城跡から無事降りた達成感からか、来た時よりは寒さを感じませんでした。

入口を出たところでもう一度坂本方向を確認

入口を出たところから坂本方向

更に、少し進んだ「安土城お堀めぐり」の場所でお堀と空がキラキラしていたので、方角を確認してみると、なんと朽木方向でした。義輝様…泣

朽木方向が輝いてました(安土城お堀めぐりの場所から)

十兵衛とノッブと坂本と義輝様に思いを馳せながら、なんとか歩いて安土駅に戻り、JRで西へ。疲労困憊だったのでこのまま帰ろうかとも思いましたが、帰りの新幹線までまだ時間がある…。

幸いにも電車で座ることができ、しばらくすると足が回復してきたので、予定通り明智左馬之助湖水渡碑に行くことにしました。

JR大津駅の北口を出て徒歩15分程度。右折しながら北東へ進み、最後は県警本部東のなぎさ通りを北へ向かって琵琶湖岸へ。

大津駅北口から北東へ
打出浜交差点を北へ(左の建物は県警本部)
県警本部東のなぎさ通りを北へ
ありました!(「コレ」のところ)
明智左馬之助湖水渡碑と
説明「明智左馬之助湖水渡りのところ」
明智左馬之助湖水渡碑の少し西側から坂本方向

明智左馬之助湖水渡碑の前から坂本方向を見ようと思いましたが、全体が見えなかったので、少し西側から撮影しました。

ここから左馬助が坂本城へ…
左馬助と明智家の皆様に思いを馳せ、今回の麒麟旅は終わりにいたしました。

今回は、予定が大幅に狂い、急きょ初めての山城(安土城)に登るという、今思えばちょっと無謀な旅でした。最後まで頑張って良かったと思うのと同時に、きちんとリサーチしておくこと、安易に決めないこと、が反省点です。

長々とした記事となりました。
最後まで読んでいただきありがとうございます!