「獣の国」第1幕 第4場(入退域管理室)
入退域管理室
■ 丈高い鉄柵に囲われた巨大なドーム型の建造物。
■ 正門の両側には武装した保安隊兵士の姿が見える。
■ 門柱に掲げられたプレートには「厚生省第四管区検疫所」とある。
■ 正門横に設けられた入口には人の列、革の外套を着て雑囊を肩から下げた件の男の姿もある。
■ 身分証明書、業務委託契約書と入域許可証を検める係官。
(係官A)真紅護社か
(係官A)まず地下1階の検疫室へ行け
(係官A)終わったら地下2階の入退域管理室だ
(係官A)北側階段から降りるんだ
■ 保安隊兵士が警備する広いロビーには、列を成して手続きの順番を待っている作業服の男たちの姿が見える。
■ 低い声で言葉を交わしているスーツ姿のビジネスマンの一団。
■ 声高にお喋りしている着飾った女たち。
■ 壁際には質素な身なりの人々が不安そうにしゃがんでいる。
■ 地下1階へ続く薄暗い階段。
■「検疫室」と書かれた扉の前に立つ男。
■ 男の手がその扉を開ける。
■ 壁の時計は9時30分を示している。
■ 薄暗い廊下の隅を鼠が歩いている。
■ 壁の時計の針が10時15分を指す。
■ 動きを止め、鼻先を上げる鼠。
■ 検疫室の扉の向こうから声が聞こえる。
(係官Bの声)…… 以上で終了だ
(係官Bの声)一つ下の入退域管理室へ向かえ
■ 検疫室から出てくる男。
■ 地下2階へ続く薄暗い階段。
■ 地下2階の廊下は光量が抑えられ、途中で分厚い防弾ガラスの付いたカウンターと鉄扉で塞がれている。
■ 防弾ガラスの向こう側にはワイシャツ姿の係員が座っている。
■ 防弾ガラス下部の開口部から係員に身分証明書と業務委託契約書を差し出す男。
■ 身分証明書を確認し、手元の書類に書き込みながら、係員は顔も上げずに告げる。
(係員A)イツァーク・イヌカミだな
■ 係員が操作し、鉄扉が開く。
(係員A)奥の第二管理室だ
■ 手前の第一入退域管理室の扉の前、大きな帆布の鞄を横に置いて、赤い革のジャケットとジーンズ姿の若い女が鉄製の長椅子に一人座っている。
■ 女は物思いに耽っているかのように、俯いて目を伏せている。
■ イツァークは女の前を通り過ぎる。
■「第二入退域管理室」と書かれた扉をノックするイツァーク。
(係員Bの声)入ってくれ
■ 天井の蛍光灯に蛾が張り付いている。
■ 天井の隅には、出入口側にレンズを向けた監視カメラが設置されている。
■ 台の上にはヘルメットとグローブが置かれている。
■ 黒い戦闘服姿のイツァーク、その胸には「C. G. C.」の赤い文字が見える。
■ イツァークは無線機の本体をタクティカルベストから外し、電源を入れる。
■ その時、ふと何かに気付いたように、顔を上げるイツァーク。
■ イツァークは、平板なコンクリート剥き出しの壁の一方に顔を向ける。
(係員Cの声)…… 何度も言わせんな
(係員Cの声)全部脱ぐんだよ
■ 「第一入退域管理室」と書かれた扉。
(女の声)でもっ…… 色んな検査はさっき上で全部済ませてます!
■ 額が狭く斜視気味の係員の男が薄笑いを浮かべ、目の前に立つ女を睨め付けている。
(係員C)俺の背後に鉄の扉が見えるだろ
■ 幾つもの閂と太く丸いハンドルが付いた巨大な鉄扉がある。
(係員C)あれがこの清浄な世界に住む我々と
(係員C)下の汚物どもとを隔てる扉だ
■ 歪んだ笑みを顔に貼り付けたまま、喋り続ける係員。
(係員C)本来なら奴等全員まとめて下水にでも流しちまえばいいんだろうが
(係員C)汚物は汚物で肥としての使い道がある
■ 係員が目を細める。
(係員C)前に……
(係員C)てめえのまたぐらに炭疽菌やら何やらのアンプルを何本も突っ込んでここを通ろうとした女がいた
(係員C)上の階の役人どもは通り一遍の検査しか しやがらねえからな
■ 歪んだ口元の係員。
(係員C)この黄泉比良坂を守る俺の慧眼がなけりゃ
(係員C)下のクズども 揃ってあの世行きだったろうよ
■ 係員は反り返って喋り続ける。
(係員C)レベッカ・カトーといったな
(係員C)どんな出自なのかは知らんが その目や髪の色からすりゃ
(係員C)おおかた下の汚泥の中から這い上がってきた雑種の一人だろ?
■ 係員の顔をきっと睨むレベッカ。
■ 薄笑いを浮かべる係員。
(係員C)俺には入域許可の最終権限がある
(係員C)二度と就業できないように 不適格者の烙印を押して
(係員C)ここから蹴り出してもいいんだぞ……
■ 俯き、目を閉じ、レベッカは悔しそうに唇を噛む。
■ ふっと何かを諦めたかのような表情のレベッカ。
■ レベッカ、革のジャケットのファスナーを下ろす。
■ 淫猥な表情の係員。
(係員C)…… 全部脱いだら床に四つん這いになって
(係員C)尻をこっちに向けて 広げて見せろ
■ 係員の右手はズボンのポケットに深く突っ込まれている。
■ 幾つも並んだ監視モニター。
■ その1つにレベッカの動きが映し出される。
■ その光景に気付いた若い保安隊兵士は怒りの表情を浮かべる。
(保安隊兵士)…… ッ! あの野郎また…… !
■ やや頭髪の薄くなった中年の係員がイツァークに書類を差し出す。
(係員B)これで引き渡しは全て終了だ
(係員B)携行物も問題ない
(係員B)ここに受領のサインを
■ 机の上の書類に書き込みながら説明を続ける係員。
(係員B)銃器と弾薬……
(係員B)それと刃物類はここでは渡せない
(係員B)昇降機で地下に降りたらすぐ真紅護社の地下拠点だ
(係員B)あんたのロッカーに納められているはずだから 確認してくれ
■ 隣の部屋との境の壁を、指先で触りながら質問するイツァーク。
(イツァーク)…… ここで
(イツァーク)下へ行く許可が取り消されることもあるのか?
■ 書類から顔を上げる係員。
(係員B)ん? ここは単に入域直前の準備部屋だ
(係員B)我々にそんな権限などないよ
■ 壁を蹴り破るイツァーク。
■ 第一入退域管理室の中、係員に背を向け、レベッカは俯いたまま下着を外そうと両手を背中に回している。
■ 露わにした陰茎を握っている係員が振り向く。
■ 驚愕の表情の係員。
■ 振り向くレベッカ。
■ 警報音が鳴り始める。
■ イツァークを指差し喚く係員。
(係員C)なっ! 何だっ 貴様っ!
■ イツァークの拳が係員の顔面に叩き込まれる。
■ 派手な音を立て、仰向けに倒れる係員。
■ 倒れた係員を見下ろすイツァーク。
■ 目を見開き、イツァークを見つめるレベッカ。
■ 鳴り響いていた警報音は止まっている。
■ 扉の向こうから近づいてくる重々しい靴音。
■ 第一入退域管理室の扉が開かれる。
(保安隊兵士)何事かっ!
■ 部屋の中、床に倒れた係員の横で、保安隊兵士に向き直るイツァーク。
■ レベッカは脱いだシャツで身体を隠す。
■ 壁穴を抜けてきた中年の係員、イツァークを押し退けて保安隊兵士の前に立つ。
(係員B)不適切行為がありましたので
(係員B)内部処理したところです
■ 鋭い目で部屋を見渡す保安隊兵士。
■ 係員の背後に立っているイツァークの顔は、色の濃いゴーグルとフェイスマスクに隠され、表情は窺えない。
■ 耳を赤く染め、目を伏せているレベッカ。
■ 倒れた係員の陰茎は萎んでいる。
■ 中年の係員に向かい通告する保安隊兵士。
(保安隊兵士)我々が介入すべき事案ではないことを確認した
(保安隊兵士)壁の破損についてのみ報告書を提出しろ
■ 部屋を出ようとする直前、一瞬複雑な表情でレベッカを見遣る保安隊兵士。
■ 靴音が遠ざかる。
■ 両手で薄くなった髪を撫で付けながら、係員は隣の部屋に向かって歩き出す。
(係員B)ま やれやれだ
(係員B)イツァーク あんたは書類にサインしちゃってくれ
(係員B)そっちのねえさんは衝立の向こうで着替えちまうといい
(係員B)手続きは俺が引き継ごう
■ 重い音とともに開く鉄の扉。
■ イツァークとレベッカは、それぞれ大きな荷物を手に下げ、鉄扉の向こうから振り返り、係員の方を見ている。
■ イツァークに話し掛ける係員。
(係員B)よく分かったな
(係員B)壁の一部は何かあった時のために壊れ易くしてあるんだ
■ 答えるイツァーク。
(イツァーク)…… 触ると違和感があった
(イツァーク)上手く説明はできないが
■ 驚き顔で話し続ける係員。
(係員B)隣があんな状況だったっていうのは どうやって分かった?
(係員B)まさか全部聞こえてたとか言うんじゃないだろうな? 一応防音壁だぞ?
■ 何も答えないイツァーク。
■ 係員は呆れたように首を振る。
(係員B)驚いたね……
■ ゆっくりと閉まる鉄扉の向こうから、係員の声が聞こえてくる。
(係員Bの声)イツァーク 達者でな
(係員Bの声)あんたなら驚くほど上手くやれるだろうよ
(係員Bの声)そっちのねえさんも頑張りな
■ 重厚な音とともに、鉄の扉が閉まる。