「獣の国」第1幕 第1場(1999年2月、東京)
1999年2月、東京
■ 机上に置かれた黒革のケースと身分証明書。
(モノローグ)除隊した
■ 雪が舞い落ちる中、街路を多くの人々が行き交っている。
■ 大きな傘を広げて、幼い子供と手を繋ぎ歩いている裕福な身なりの若夫婦。
■ 腕を絡ませ、隣を歩く男の顔を見上げて微笑む女。
(モノローグ)街は…… 前線とはまるで別世界だ
■ 数名の兵士が写った写真。
(モノローグ)6年間の兵役の間に一人だけ
(モノローグ)親しげに話し掛けてくる男がいたが
■ 写真の中、土埃で汚れた髭面の若い兵士がヘルメットを斜めに被り笑っている。
(モノローグ)7.62㎜ロシアンの横薙ぎで 今は奴も墓の下だ
■ 男の横顔、口元を覆うようにストールが巻かれ、覗く左の耳朶には暗赤色の小さな耳飾りが鈍い光を放っている。
(モノローグ)優秀な奴だった
(モノローグ)だが死んだ
■ 傘も差さず、草臥れた革の外套のポケットに両手を入れ、人の流れに逆らって男は歩く。
(モノローグ)俺は凡庸な兵士だったが 生き延びた
■ 立ち止まり、空を見上げる男。
(モノローグ)奴の魂は……
(モノローグ)奴を待つ人のところへ辿り着いただろうか
■ 突然の強い風に、雪が舞い踊る。
(モノローグ)俺もいつか死ぬ
■ 男の掌に落ちた、一片の雪。
(モノローグ)だが
■ 男の掌で雪が溶けていく。
(モノローグ)俺は…… その場所へ行くことはないだろう……