「マトリックス レザレクションズ」(2021年)
メタ構造を採用したのはおもしろかった。これは、前三部作に熱狂的なファンがついているからこそ効果があるのだと思う。ただ、ちゃんと復習していないとよくわからない部分もあったと思う。
メタ構造にしたのは、両親と親友を亡くしたラナ・ウォシャウスキー自身が自分自身を冷静に見つめなおす必要があったからかもしれない。自分の分身のようなマトリックスシリーズを俯瞰・分解して再構築することで、自分自身を取り戻すための作業だったのではないだろうか。
物語の冒頭、ネオは「トーマス・アンダーソン」に戻っていて、デウスマキナ(機械仕掛けの神の意)という会社につとめている。
1999年からはじまったマトリックストリロジーはゲームだった、ということになっている。
そのゲームを作ったのが、アンダーソンなのだ。そして、エージェント・スミスがアンダーソンの上司(?)になっている。
スミスが、ワーナーブラザーズからトリロジーの続編を作るという話が来ているとアンダーソンに伝える。ここでスミスは「我々は違った名前と違った顔で同じ物語を語り続けるのだ」という。
本作「レザレクションズ」もそういう物語になっている。
ネオはトリロジーで敵を倒したが、それはゲームの中の話で、現実の人間はまだポットの中で生きている。そして、トリロジーと同様に、現実の世界から、仲間がアンダーソンを連れ戻しに来る。そして、アンダーソンは自分がネオである自分に気づく。
そして、機械との戦いがはじまる。
本作をわかりにくくしているのは、前作から続投しているキャラクターを違う俳優が演じているところだろう。スミスの言う「違った名前と違った顔」ではなく、「同じ名前と違った顔」になってしまっているので、演出上の目的があってそうなっているのか、ギャラやスケジュールの問題で出演していないのかわからないのだ。エージェント・スミスとモーフィアスは同じ俳優のほうがよかったと思う。
マトリックスといえばバレットタイム。作中でも「新しいバレットタイムが必要だ」というセリフがある。残念ながら新しいバレットタイムはなかった。トリロジーの時は革新的な映像表現だと騒がれたが、20年経って、映像表現は進歩した。そして、それを越える表現は今回は提示されなかった。
20年の歳月で観客も変わった。
オリジナルのトリロジーを観た観客は記憶との照合をしたことだろう。
新しい観客は、本作をどう評価したのだろう。
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