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第1回 気まずい連中
高橋洋介はガラステーブルの上にお土産を並べた。
お菓子やらアクセサリーやら、さほど悪いものでもないはずだった。でも、義父母は触れもしなかった。義妹や義弟はいちおう手にしたものの、表情が硬かった。こいつは気まずい。しばらく五人で黙りこくっていたんだけど、やがて義妹の奈美恵が口を開いた。
「あのさ、宝石とか貴金属とかなかったの?」
「ネックレスを買ってきたじゃないか」
奈美恵はケルト十字架をモチーフにしたネックレスをつまみ上げた。それはシルバーではなく、麻の紐に木彫りのケルト十字架をぶら下げたものだった。
「こういうのじゃなくて! 本物のケルトジュエリーとか探さなかったの?」
「いいものは何万もするだろ」
「いいものを買ってこないと意味がないでしょって話をしてるんですけど。いったいなにをしにいったんだっていう話」
そこに義母が口を挟んだ。
「仕事でいったのよね?」
洋介はうなずいた。奈美恵はぴくっと眉を動かした。
「仕事? 海外にいく仕事なんかあるの?」
「クライアントが希望すればどこへでもいく」
「そんな国際的な仕事だったっけ?」
洋介はコーヒーを飲んだ。気持ちを落ち着かせたかったんだ。
「クライアントは日本人だよ。彼女が希望した風景がアイルランドにあるんだ」
奈美恵はお土産のネックレスを指に引っかけてくるくる回した。
「最近の占い師はそんなこともやるのね」
洋介は奈美恵を睨んだ。
「占い、じゃない」
奈美恵はネックレスを回すのをやめた。
「じゃあ、なによ」
「さいごの風景を作るんだ」
奈美恵は隣に座っている徹をこづいた。
「さいごの風景ってなんだっけ?」
「え?」
徹はギネスのTシャツを体に当てていた。どう見ても膨らんだ腹がはみ出しそうだった。それでもなんとか着られるところを示したいらしく、顎でTシャツを挟んで、一生懸命裾を引っ張っていた。
「ああ、なんだっけ」
そう言ってギネスのTシャツで顔の汗を拭った。奈美恵は答えを諦めた。洋介に向き直って肩をすくめた。
「徹も知らないって」
「何度も説明した」
「いちいち覚えてないよ! っていうか興味がない。家族ですら覚えていないような仕事にニーズがあるのかっつーの」
洋介はうなずいた。
「アイルランドへの出張費もちゃんと出ているし」
奈美恵はお土産の中から丸いチョコレートを取った。包装紙を剥がそうとしたけど、うまくいかなかった。母親に剥いてもらって、口に放り込んだ。
「チョコはまあまあ美味しい。でも義兄さんは普通の仕事をしたほうがいいと思う」
奈美恵は立ち上がってキッチンにいくと冷蔵庫からビールを取り出してきた。
「やめなさい。まだ明るいのに」
母親にたしなめられて従うようなら、最初からビールなんか持ってこない。
「暑いんだもん」
缶に直接口をつけて、喉を鳴らして飲んだ。義母は娘を睨んでから、夫に言った。
「奈美恵の言うとおりよ。洋介はちゃんとした仕事をすべきよ。あなたはどう思う?」
妻に聞かれて、義父は目を閉じた。腕を組んで「うーん」と唸った。
「いいも悪いも、なんの仕事をしているのかよくわからないんだよな。つまり、なんだねぇ……こういうことかしら……」
義父がもにゃもにゃ言っているのを遮って、義母が聞いた。
「あの人たちのところにいった時にそんな話はしなかったでしょうね」
洋介はうつむいた。
「……してないよ」
義母はため息をついた。
「こう言ったらなんだけど、あなたはうちの家族なのよ。あまりあちらのご家族と接点を持つのは……」
「勝手に調べたのは悪かったよ。でも、もう……」
「そうね。それはわかっているわ」
義母は渋々納得した。義父が咳払いをした。
「どうだ。仕事を探しているのなら、おれの友だちのツテでも当たってみようか」
「いや、大丈夫。この仕事を辞める気はないんだよ」
奈美恵が「あのさ」と言った。
「義兄さんもうそろそろ四十歳でしょ。スピリチュアルだかスーパーナチュラルだか知らないけど、とにかくそういうのやってる場合じゃないと思うよ! うちの会社にもいるけど、そういうキモいおっさん。自己啓発バリバリでさ。もちろん独身だし、彼女とかもいないんじゃないかな。義兄さんも、そろそろ目を覚まさないとああなるよ!」
そういう奈美恵も三十五歳だ。お多福顔で、ぽっちゃり体型にも関わらず花柄のミニスカートを履いている。
「今は、目に見えないパワーとか流行ってるからいいのかもしれないけど、ブームが終われば仕事なんかなくなるよ。下手すると訴えられたりするかもしれないよ!」
そう言いながら奈美恵はアイルランド土産のポテトチップスを開けてばりばり食べて、「日本のポテチのほうが美味しいな」などとぼやいた。
その後も会話が盛り上がることもなく、一時間が経過した。洋介は立ち上がった。
「ちょっとトイレ借りるよ」
義父が腹を掻きながら言った。
「そんなこといちいち断らなくていいさ。自分の家だろ」
トイレは玄関脇にある。用を足してから、廊下を挟んだ向かいにある自分の部屋を覗いた。空気がこもっていて埃っぽかった。ビニール紐で縛った新聞紙や、古本の詰まった段ボール箱などが床に並んでいた。着なくなった洋服を詰めたゴミ袋もある。どれも洋介のものじゃないんだ。それにしても暑い。室内にいるだけで顔や首周りに汗が浮かんできた。洋介は喉を掻いて部屋を出た。
「そろそろ帰らなくちゃ」
居間に戻ってから、洋介が言うと、義母は「あら、泊まっていけばいいのに」などと言ったけど、本気で引き止めている様子はなかった。ちょっと嬉しそうですらあったね。洋介が荷物をまとめると、家族は玄関まで見送りにきた。もう、早く出ていけよって空気を誤魔化そうともしなかったんだ。その重みに耐えられなくなったのか、
「僕、送っていきます」
義弟の徹がスニーカーをつっかけてついてきた。
ふたりは家を出た。住宅街を歩いている間は会話がなかった。
浦和競馬場を通り抜けた。競馬が開催されていない日はコースを横切って通り抜けることができる。コースに敷かれた砂を踏みしめると、きゅっと足が沈んだ。コースの反対側にある通用門を目指して歩きながら、徹はふうふう言ってハンドタオルで顔をごしごし拭いた。
「もういいよ。こんな遠くまで……」
洋介が言うと、徹は首を横に振った。
「何キロも歩いたみたいに言わないでくださいよ。ちょうど散歩したかったんです」
風が吹いて砂埃が舞った。
「ここを通ると砂まみれになる」
洋介がぼやいた。徹は「砂しかありませんからね」と言った。咳払いをしてから小声で言った。
「姉は機嫌が悪いというか、最近ずっとあんな感じです。だからあまり気にしないほうがいいですよ」
「彼氏ができないから、八つ当たりしてくるのかな」
洋介が言うと徹はべとついた髪をかき上げた。
「そうかもしれません。まぁ、僕も人のこと言えないですけど」
「職場に女の子いないの?」
「女はいますけど、つきあいたい感じじゃないです。SEやってる女なんて、生物学的な分類として女、ってだけですよ。ま、僕も人のこと言えないですけど。義兄さんは彼女いるんですか?」
「まぁ、いるっちゃいるよ」
「結婚するんですか?」
「どうかな」
「義兄さんは僕らとは違うから」
洋介は話題を変えた。
「徹にはちゃんとした家族がいるじゃない。うらやましいよ」
徹は「そんなことないっす。枯れちゃった両親と、豚みたいな姉だけですよ!」と顎の肉を揺らして笑った。洋介は、曖昧な笑みを浮かべて、
「なんか……あったの?」
って聞いた。徹は自分が言い過ぎたことに気づいて、「特になにも」と顔を赤らめた。
通用門の手前で徹は足を止めた。
「僕はここで。お土産ありがとうございます」
洋介はハンカチで汗を拭きながら首を横に振った。
「こちらこそ。お邪魔しちゃって」
「いつでもきてください」
「またなにかあったらくるよ」
「なにもなくてもきてくださいよ」
そう言ってから徹は上目遣いで洋介を見た。
「一緒に暮らしていたじゃないですか」
洋介はうなずいた。
「今のほうが楽なんだよ」
徹は何度もお辞儀をして見送った。洋介はもう振り返らなかった。馬房のある坂道を上った。馬の匂いが漂っていた。歩きながら馬糞を探した。子どもの頃、馬糞を踏むと足が速くなるという噂があったんだ。洋介もぺちゃんこになった草の塊のような馬糞を探しては足を乗せたもんだった。さすがにもうあえて馬糞を踏みたいとは思わないけどね。
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