「石川九楊大全」展
書家・石川九楊の展覧会。
「後期【状況篇】 言葉は雨のように降りそそいだ」にいった。
「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」(1972年)
「風景交響」等(1980年代)
戦争やテロに関する作品(2000年代)
「河東碧梧桐109句選」(2022年)
といったように、年代ごとに展示されている。
自分は書に関してはズブの素人なので、ここに書く感想は書における常識なのかもしれないし、石川九楊という書家だけに当てはまることなのかもしれない。
全体を通して感じたのは、文字がデザインの中に溶けていくし、逆にデザインの中から文字が浮かび上がりもする。それが書というものなのではないか、といったことだった。
70年代の作品は書き殴ったような書だった。昔榊莫山先生がテレビCMかなにかで大きい紙に文字を書いていたのがあった気がするが、そんなイメージ。
それが80年代になると急にデザイン性が高くなる。個人的にはデザイナー浅葉克己の文字デザインを思い出した。
そして、2000年代の戦争やテロに関する作品では文字が読めなくて、書いてあるかどうかすらわからなくなる。
2022年の「河東碧梧桐109句選」ではまた文字が判読できるようになる。
こうして書いていて、自分は印象を羅列しているだけで、まだその先に潜っていないのだった。あれに似てる、これに似てる、と類似を探している。
もっといろいろな書を観て、考えていくうちに、自分の意見が出てくるのだろう。
情報の羅列のついでに、会場で流れていた石川九楊インタビューのことも書いておく。
「書は立体である。墨は黒いのではない。あれは、書はというのは岩に彫りこんだ文字のようなものだから、墨は黒ではなく、影なのだ。だから、影は濃かったり薄かったりする」
「表現は時代と触らないといけない。その時代しか表現できないものがある」
時代と触る、という表現はよかった。自分も常に考えていることだ、と。ここでまた共通点を見つけて安心したのだった。