矢野利裕「学校するからだ」(2022年)
それなりの期間を生きてきた人は、自分というものを持っている。著者もそうなのだが、彼は批評家という立場でもあるのであって、そういう意味では感覚を言葉にする技術にはたけている。
そんな彼が教師という立場から、学校というものを批評する。教育論、というのとは違う気がする。いろいろと語られているが、おもしろいのは、そこにいる人たちについての描写だ。
この本の中で試みられているのは、やはり相手もそれなりの期間を生きてきた人や出来事と接したときに、著者自身が受けた印象や感覚といったものを、自分の考え方や知識といったものをもとに批評しつつ、なにかを受け入れたり発見したりするという工程だ。それは未知の体験、カオスであったものを丁寧に受け入れて分析することによって、自分の言葉で表現するという作業だと思う。
本になるようなクオリティになっているのは、彼が批評家という職業でもあるからなのだが、我々素人も自分の感覚を掘り下げて言葉にしてみるのは大切なことだと思う。
冒頭で述べられている「自分が生きられる場所についてしっかりと足もとから考えながら、少しずつ言葉を練り上げていくことが、まずは批評の条件ではないか。だとすれば、批評の言葉とは自分が生きられる空間の感触とともになければ嘘ではないか」。
これは著者が批評家だからこういう言い方になるのだが、人は、それぞれ自分の生きる現実に対して、ぼんやりと眺めるのではなく、きちんと接する。ちょっと陳腐化した表現を使うなら、マインドフルネスに接するとか、「聞く」のではなく「聴く」みたいな、そういう感覚。そうすることによって解像度が上がることだろう。その中ではじめて見えてくるものというのがあると思う。
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