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スコープセレクター#MIZUKI

仕事の評価と人の価値

「深月さん、野川1丁目の戸建、買い取り決まりました!明日、契約です。」

「おめでとうございます。登記住所は変更ありませんか?今、法務局に棚野さんがいます。」

「お、良かった!変更なしです。建物はあるので、土地だけお願いします。建確書送ります」

「は~い。」

営業からのハイテンションな報告電話を切る。


法務局にいる棚野さんに電話して、今やっている図面づくりをあと15分で終わらせよう。昼休憩が終わるまでにはチラシの印刷を終わらせないと。

今月は仕入れが多かった。あんまりため込みすぎても、良くない。私まで営業活動しないといけなくなる!

「あ、棚野さん野川1丁目の買い契約明日になりました。土地の登記簿と公図をお願いできますか?建物は取得済です。住所は入力されてある通りです。」

あれ・・・電話を切りながら今やっているチラシの図面に、おかしな点を見つけてしまった。このマンションの販売資料から間取り図を引っ張ってきたはず。なのにつじつまの合わない間取りなはずない。

これじゃバスルームと和室をつなぐ窓があることに。

転記ミスだ。こういうミスがあると、ミスの3倍時間ロスになるというのに。

ライブラリに電話しながらメールをする。

「営業2課の深月です。野川3丁目ベラフィーネ303の資料一式を受け取りに行ってもよいですか?物件名、メールしてます。間取り図を確認したいんです。」

「どうぞ、すぐに準備できると思います」


メールを打っていると、同僚が声をかけてきた。

「ミヅキさん、お昼はお弁当ですか?私達、パスタ食べに行こうかって話してるんだけど」

「お向かいのイタリアン?行きたいんだけど、午後に営業さん達がでかけるまでにチラシを作らなきゃいけなくて。間取り図が違うものが保存されていたのー 余計な時間かかっちゃう!今から3F行ってきます!」

「え、間取り図違ってた?」

「ほら、これ。バスルームの換気が和室にされるなんておかしいでしょ。窓はないか、通路につながるか、でしょ普通」

「あ、私も今日 マンション玄関が引き戸っていうのあって、契約時間に間に合わないかと思った」

「保存ミスしてると、結局原本から作り直さなきゃいけなくて余計時間かかるよね。デジタル保存する意味ないー」

「まぁね。ミスなければデジタルだと便利だけど。このミスは棚野っぽくない?先週ずっと間取り図やっていた」

「そうなの?知らないけれど、間取り修正からのチラシづくりだから時間かかるよ。お昼は私にお構いなく~ このあと印刷室にこもるから!」

「棚野が法務局から戻ったら、手伝わせますよ」

「は~い」

返事をしながら棚野さんのミスだと決まったわけでもないのに、と苦笑する。


私は深月由香里、不動産会社で営業アシスタントをやって7年目になる。

5行政区、100万人エリアを担当する営業所に勤めている。アシスタント業務は3名。

7年目の私と、会社勤務12年目、アシスタント業務は2年目のさっきの彼女。そして、棚野さんは入社1年未満のアシスタントで、営業職になる前のインターンだ。

ニコニコ笑顔の素敵な20代の女の子。

よく言えば、穏やかで当たり障りない絶妙の距離を保つ子。悪く言えば、マイペースで他のメンバーと足並みを揃えるのが苦手。周囲がどんなに急を要していても、踏ん張りどころだと力を合わせていても同調せず、穏やかに同じテンポ、テンションで業務をこなしていく。

それが生意気だとか、怠惰だとか、日本にありがちな「感じいいかどうか」で仕事の評価までしてしまう事態になることもあった。

3Fのライブラリーに行くと、受付の子は昼食に出る準備をしていた。「あ、物件資料用意できてますよ。持ち出し処理も済んでます。」「ありがとう!河野さん達、お向かいのイタリアン行くような話してたよ」「そうそう、メールが来て。ご一緒してきます。ミヅキさん、休憩時間がずれるって聞きました。大変ですね。」

「一つ工程がやり直しだと、時間ロスがすごいのよー」「棚野さん またミスっちゃったんですか?河野さんがぼやいてました」「まぁ、彼女のせいって決まったわけじゃないんだけど」苦笑いする。

時間ロスは嫌悪するが、人を決めつけた見方で傷つけるのは好きじゃない。決めつけていることを口に出さなくとも棚野さん本人が感じとれば、傷つくだろう。

傷つかないフリをして、明るく振舞ったり、余計に親切に周囲に接したり、という行いをする人たちを見てきた。本人が明るくしていても、気にしないフリをしていても、周囲の評価がそうさせているのなら良くないなぁ。


資料原本を見たら、バスルームに窓はなかった。典型的なマンションの間取りだ。

急いで間取りの修正にとりかからなきゃ。間取りの作図ソフトが使えるパソコンは限られていて、売買契約書の作成ソフトが使えるパソコンとも被っている。

うまくそのパソコンが空いていればいいけれど、と思いながら、階段を降りる。

間取り図作成ソフトが使えるパソコンは空いていた。営業所長の席に近い場所にあり、場合によってはシビアな会話が耳に入ることもあるので、集中しにくい時もあるが、今は急がなければ。そんなこと言ってられない。システムを立ち上げ、素早く間取り図を修正する。

しかし、こういう時に限って意図的なのか?と思うほど 私の作業を阻害しようとするかの叱責が始まった。

「今月の数字の対策はなんなんだ!」

所長の怒声が響く。男性社員が成績不振を𠮟責されている。その声を聞きながら、私は手を止めることなく間取り図を修正していく。

「先月は多少良くても、継続的な結果が出せなければ意味がない。今の時点で目標の半分にも届かないなんて、どういうことだ!」

怒られる男性社員のうつむく様子が想像できた。それでも、私は気にしないように努める。これが彼らの仕事であり、自分の役割はサポートすることだ。

「こういう厳しい場面もあるから、営業職って大変だな……」と心の中でつぶやきながら、間取り図の線を引き直す。ここで電話だのレポート作成だの考える作業しているんじゃなくて助かったわー!デジタル作業の淡々とした単純さに助けられた。

「今後に展開する予定の対策を1時間でまとめて来い!」怒声が消えると再び静かな時間が戻り、私は修正作業を進めることで気持ちを落ち着かせた。

今、私が作成している間取り図を使って、ある物件の販促チラシを作製する。午後にこのチラシに掲載されている物件の近くで交渉がある。販促チラシは500部必要で、午後の交渉までに間に合わせなければならない。このチラシを営業社員に渡すことで、交渉ついでに周囲で配布してもらう計画だ。「限られた時間で効率よく仕上げなければ」と自分に言い聞かせながら作業に集中する。

「印刷機、500すります!」フロア全体に響くように声をかけて、印刷室に入り、作業を開始した。

チラシは単色でシンプルなデザイン。印刷後は自動で三つ折りされるため、私の作業は封筒詰めだけだ。単調な作業だが、その分考え事をしながらでも進められる。手を動かしつつ、心にはさっきの叱責感の残骸が残っていた。

「さっき𠮟責されていた営業さん、どんな気持ちなんだろう……」封筒にチラシを詰めながら想像した。

営業成績が悪いことで怒られている。でも、私だったら、それだけでは済まない。「自分が否定されている」と感じるのではないか。営業成績を上げられない自分が、人としての能力不足だと評価されているような感覚にならないだろうか。

私は「仕事の結果」が人間の価値そのもののように扱われることが、営業職の厳しさの一つだと感じた。その感覚が、どれほど人を追い詰めるのか。想像すると、私自身の気持ちが沈んだ。

「自分は無能だ」そんな思い込みに囚われたら、何をやっても楽しくないだろう。友達とご飯を食べても、家でゲームをしていても、その思い込みが頭の隅に残る。私は想像をめぐらせながら、封筒詰めの作業を続ける。

営業職は常に評価される仕事だ。その評価が分かりやすい。日々の成績が良ければ褒められ、悪ければ怒られる。「私には絶対できない仕事だ」と思った。そんな日々では心がすり減ってしまう気がする。

実際はどんな仕事でも評価はつきものだし、営業だって売上が良くないのと、その人自身の能力が低いのと全然別の話なのだが。

頭では分かっていても、「きちんと仕事しろ」だの「そんな成績でよく昼飯を食ってられるな」なんて言われたら もう次の日から出勤したくなくなっちゃう!私は仕事ができない、という評価を絶対にされたくない!と、思わず身震いまでしてしまった。

大丈夫、あんな皆の前で叱責されていたけれど、私はあの営業さんが無能じゃない、他にたくさんの魅力がある人間だってことを知っているよ! 心の中でつぶやいては、せっせと折られたチラシを封筒に入れていった。

頑張れ、あと300枚分だ!

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