ネグレクトされて育ちました。-小学生時代-

私は産まれた頃から中学生までの間、エホバの証人2世として育てられてきました。

''鞭世代''と呼ばれる時代だったので
主に母親の機嫌1つで折檻されていました。

また、保育園や幼稚園にも行かずに布教活動の為に連れ回されていました。
小学生になってもクラスメイトと遊ぶことはおろか、下校時間が遅れただけで激怒されます。家にいてもゲームやテレビ、マンガの娯楽も禁止。

じゃあ、何をするかと言うと

・掃除機をかける
・洗濯物を干す、畳む、片付ける
・炊飯をする
・皿洗いをする(お湯の使用禁止)

これらを帰ってきてから毎日します。
小学校低学年の時には既に冬になると
私の手は霜焼けができていました。
この平成、令和の時代に霜焼けで赤切れするんです。

10歳の頃には既に母親が寝たきりで
姉と全て家事を分担していました。
帰ってすぐに母の顔を見て帰宅の報告、
家事を済ませたら、宿題を終わらせて、
週2.3回ある集まりの日は昼寝をしておく。
ない場合は、母が起きるまでひたすら読書か宿題をこなして予習と復習の日々。

誕生日も忘れられ、
興味のある本を借りて帰って
すぐに読んでしまったせいで
母がいつもより早く起きた時に
家事が済んでいないと怒鳴られ
時に鞭の痛さに暴れて泣くまで叩かれる。

もう虚無感しかなく
サンドバッグの様な扱いをされて
召使いとなる為に生まれてきたんじゃない!
と心の中で葛藤して生きていました。


お陰で小学生の時は成績も悪くありませんでした。
5がちらほら、4が大半で3がたまにある。
優秀ではなくとも、ADHDの幼少期としてはまあまあだったのではないかな?と今になって思います。

小学生時代に現実逃避するため
勉強や読書に打ち込んで
両親が離婚騒動を引き起こしている時にも
文庫本を読み漁っていました。
それで精神のバランスを保っていたのだと思います。

そんな脳みそで育ったため
物事の本質を追求する癖があります。
それが自分を苦しめるのに止められません。
でも、そんな脳みそのお陰で
紆余曲折ありながらも高校では赤点なしで
数年後には国家資格を取得できました。
幼少期の勉強するクセって大切だなー、
とつくづく思います。

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