流れが変化して大河に
意地でやっていることがある。
おいそれと流れを止めず変えず、痩せ我慢もする。
細かいことを言って節約したら、その先へは繋がらない付き合い。
今はわかりきならない価値への投資なのかもしれない。
届くかどうかもわからない、愛の行いも同じようにして流す。
渓流にあって石や地形の組み合わせで、水が流れ込み落ち窪んでくるくると水が回り下流へ向かう地点などある。
大雨が降り、川の下流では表面張力いっぱいまで保った水が結界の外からの流入と合わさり決壊することがある。
意地のようにして粛々と行っていてることどもが、いつかどこかの地点で様相を変え、満々とした流れになりもし、奔流とも、大河ともなるのかもしれない。
そんなことを思う。
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