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はじめまして

はじめまして。
今日は少し自己紹介から🌱

三重県津市出身、今は4月から滞在している福島県西会津町にあるDana Villageという場所で農業ボランティアをしながら暮らしています。
といっても、あと7日でここを出発し、三重、神奈川、栃木、千葉…と気になるエコビレッジやファームを巡る予定です。

さて、では今まではどんな生き方をしてきたのか。
三重に生まれ、高校までは三重で育ち、大学で京都に出ました。
小学校の時は、自分か友達の家の中でしか遊ばなかったような子どもで。
高校卒業後、浪人中は毎日電車で名古屋の予備校へ、そして京都でのひとり暮らし。
順を追って外へ外へと出るようになり、大学ではアカペラサークルに所属していたこともあり、大阪や兵庫へライブをしに行くことも。
そして大学2回生の夏休み、ゼミが始まる前に、と初海外、スタディツアーでカンボジアに行きました。

自分ではてっきりインドアだと思っていたけど、わりとフットワークが軽めで、その後海外はフィリピン、インドに。日本では国際協力関係など、興味のあるイベントを見つけては東京に。
そうこうしているうちに大学3回生になったころ、小さなころからの夢、国際協力やユニセフのような、特に子どもに関わることがしたいと思い、大学院進学を考え始めました。
オープンキャンパスに行ったり、気になっている大学院の先輩にお話を伺ったり。それでも研究したいことが明確にならず、1度長期で現地のNGOでボランティアをしてみよう、そしてまずは英語力!と思い、1年休学してフィリピンへ行くことにしました。英語留学とNGOボランティアがセットになっている、フィリピンパナイ島、イロイロ市にあるLOOBのプログラムに参加しました。

といっても、休学してから半年は、留学費用を貯めるためバイト三昧。
もともと高校まで通っていた塾で雇ってもらえないか相談し、2つ返事で受け入れてもらえ、午後は生徒さんに関わる業務を、さらにラッキーなことに午前は広報の事務補佐をさせてもらえることになりました。

ただ、自分が選んだ休学なのに、今まで当たり前に会えていた大学やサークルの友達から物理的に離れてしまったこと、休学だから所属はあるのに、所属しているものがないと感じ、また同学年の友達は新社会人になったり、就活を始めたり。どんどん周りが進んでいるように感じ、心理的にも、たぶん自分から距離をとってしまったのでした。
夏頃、久しぶりに京都に行ったときには、私がいなくても世界はいつもどおりまわっている、当たり前のことなんだけど、変わらずあることに安心感を覚えつつも、やっぱり寂しいような。

休学やその先のやりたいことを信じつつも、もしできなかったらどうしよう…、休学するなら有意義なものにしないと就活に響くだろうし、、私はいったいどうなってしまうんだろうと、寝ても覚めても動悸がするようになり、夜は特に不安になって。同時期に休学していたゼミの友人と連絡を取り合いながらも、不安は消えず。
そんな不安を隠すためにも、朝から晩までバイトか何かしなければ、とびっちり予定を入れまくっていました。
「がんばってね」という言葉が怖くなったり、フリーターやニートについて書かれた本を読んだり。

でも、小6のときに読んだ日木流奈さんの『月のメッセージ~あなたはあなたのままでいい~』という詩集、なんでこんなに自分を責めたり、何者かにならねばと焦っているんだろう…認められたり、必要とされる人になりたいとは思うけど、もっともっと自分で自分のことを受け止めてあげれたらいいのになって。

地元の大学に通っていた、高校の部活の後輩、ちなつと久しぶりに連絡を取り、たくさんたくさん、ほぼ徹夜して、話を聞いてもらいました。
そこでちなつが言ってくれたのが、「ちぃちゃんは前ばかり見ようとしているけど、そのためにも今までのこと、後ろを振り返ってみることも必要かもしれないね。一人じゃ大変だから、一緒に見ていこう。」

休学を始めて1か月くらいだったけど、もう苦しくてしかたなかった私にとっては本当に救われたことばでした。その後も、ちなつが所属している国際協力関係の団体のイベントや、慕っている大学の教授まで紹介してくれて。
留学予定のフィリピンで研究している教授だったから、分野は医療で未知の領域だったけど、誰かとつながれることがとても嬉しくて。今でも、当時の私を救ってくれたちなつにはとてもとても感謝しています。ありがとう。

そんな半年間を過ごし、ついに9月フィリピンへ。
同じ渡航日の2人と関空で初めましてで会い、飛行機を乗り継いでイロイロに。この留学は本当に本当に、その後の私の人生を支えてくれるような3か月間でした。

LOOBが支援している貧困地区、家庭でのホームステイを2週間、その後はLOOBのオフィスでシェアハウス。
短期留学のひともいたけど、長期でインターンとして来ているひともいて、みんなで不安や考えていることを共有して、すごくすごくいい時間だったと思います。

そんな中でもまだまだ人と比べる癖がとれない私は、なかなか英語を話せるようにならないことで落ち込み、ホームステイ先で泣いたり、そのことも毎日の宿題の中で書いたり。泣いちゃったんだよね、と軽い感じでふるまおうとしていたら、日記を読んだ私の先生が、ぐっと私の手を握り、真剣な目で「もう人と比べるのは終わり」と。「見せたいものがある」と教室を出て、先生が好きな詩をネットで探し、印刷してくれました。
さらに、手を取りながら、「指は長さが違うけど、どれも欠かせないもの。短くても長くても、どれが欠けても不便になるでしょ。人間も同じ、それぞれ個性があるけどみんなかけがえのない存在なんだよ。」と、先生が感じているコンプレックスも涙ながらにシェアしてくれて。
この先生についていこう、と決心した瞬間でした。

その後も先生は、ときどき「自分を信じて」というような内容の歌を題材に授業をしてくれたり、私の興味関心がある国際協力や児童福祉に関する文献や動画を教材にしてくれて、「英語で学んでいる」という実感を得られ、少しずつ私自身の自己肯定感につながっていきました。

さらに、「日本語でも書く方が好きだ!」と途中で気づいた私は、毎日の日記を半ページから1ページ、長いときには4ページも書くようになり、2週間に1度のスピーチの内容をどんどん深いもの、国際協力や児童福祉の分野について書くようにし、自分を表現し始めました。

そうすると話すことにも徐々に慣れ、フィリピン大学の学生へのインタビューの中でフィリピン人の友達ができ。子どもたちとの放課後の活動でも、絵本を読んだり、英語や現地語を教えてもらったり。滞在を少しずつ楽しめるように、充実するようになってきました。留学最終日には、大学カフェテリアのスタッフさんもみんな、寂しいよっておまけでごはんフリーにしてくれたり、写真撮ってくれたり。最後のスピーチでは、いかにこの留学が自分にとって貴重で、私の2人の先生がいかに素晴らしくて私を救ってくれたのか。涙ながらに話して、先生も泣き出して、フィリピン大学の友達も他の友達を連れて聞きに来て、感動したよって言ってくれて。
今思い出しても、貴重な、大切な時間やひとたちだなって。感謝してます。

留学から帰国後は、国際協力分野で活動するにしても専門分野を身に着けたいと思い、社会福祉を学ぶことに。復学後の1年間は、ゼミと、社会学部の社会福祉や児童福祉の授業をとって、そこでもまた素敵な教授との出会いや学びができ、大学卒業後は日本福祉大学に編入することに。

そして、マザーテレサの「カルカッタに来なくても、自分の身の回りでできることはたくさんある」という言葉の通り、今度は日本の子どもたちの状況について知りたい、何かできることがあれば、とフリースクールでのボランティアも始めることに。そのほか、大阪西成での炊き出しボランティアに行ったり。

炊き出しは2か月に1度くらいの頻度で約2年、フリースクールは途中から理事としても携わらせてもらうことになり、約5年。
フリースクール三重シューレは、アドラー心理学を取り入れていて、子どもを絶対評価しない、「みんなで生きる、個で育つ」をモットーに、大人も子どもも対等にともに生きる活動をしていました。
子どもたちと手芸や折り紙、ときにはゲームを教えてもらったり、おしゃべりをしたり。子どもたちの言葉に癒され、気づきをたくさんもらい。
もちろんスタッフさんの「ボランティアさんにとっても癒しの場であれば」との言葉や、いろいろな日本の教育、子どもに関わる話、理事としてフリースクールのアジア太平洋地域の集まり、世界的な集まりに参加させてもらったり。そんな中で、大学時代研究していた、インドで働く子どもたちをサポートしている団体、CWC(Concerned for the Working Children)のスタッフや子どもたち、さらに活動場所に行くことができたり。

小さいころからのユニセフへの憧れから始まって、フィリピンでのボランティア、社会福祉の学び、フリースクールでの活動、とそのときそのとき自分が必要で知りたい・学びたいと思っていたものたち。ばらばらかなと思いきや、全部つながってたんだ、ととっても嬉しくて。

でも、フリースクールで子どもたちと過ごすうちに、私自身ももっと自分を自由にしてあげたい、今興味があることに、やっぱり海外に出たいと思い、バックパッカー旅をすることに。
「支援」や「援助」という視点ではなく、純粋に、他の言語や文化、価値観の場所に自分の身を浸してみたい。
そう思い、今まで世界一周した人の写真展で見たエコビレッジという存在、今いるDana Villageのオーナー小川美農里さんが2年活動していたインドのおーロビルに行くことに。ネパールのカトマンズで友達と合流し、ゴルカの山奥にあるパーマカルチャーのファームで初めてのWorkaway、農業ボランティアをし、お釈迦様の生誕地ルンビニを訪れ、陸路でインド入国。ヴァラナシで数日過ごしたあと、ついにオーロビルへ。

このとき改めて、海外での出会いのほうが、自分の興味関心と似ている人に出会いやすい、面白い人に出会いやすいなと感じて。たくさんの素敵な、今でもつながっている出会いに恵まれました。

翌年4月にはバイトもフリースクールもやめて、単身バックパッカーに。
前年にネパールのファームで出会った日本人とイタリアン人のカップルにおすすめされたマレーシアのオーガニックライスファームに行くことに。
フィリピンで乗り継ぎの間に、留学時代のフィリピン大学の友達に会い、オーストラリアでフリースクールのアジア太平洋大会に参加、そしてマレーシアに。本当はその後インド、イスラエル、できればアフリカの国々に行きたかったけど、マレーシアのファームが居心地が良すぎて、本当に家族のように接してくれるみんなが、大自然の中での生活が、当時の自分には本当に貴重で必要で。結局帰国予定だった12月までの5か月間、さらに3か月のリゾートバイト後の2020年3月~8月までの5か月間を、マレーシアのファームで過ごしました。滞在中にマレー語も習得して。

帰国後は日本でも農業やりたい、知りたいと思い、静岡の農家で農業バイトを10か月。タイからの技能実習生やすてきなおもしろい社員さんたち、バイト、パートさんたちと一緒に農業を経験。

それでも、ネパールやインド、マレーシアで経験した農業の方が、環境に配慮した持続可能な農業をしていると感じて、日本の有機農家を知りたいと思い、今いるDana Villageに来ることに。

私の中で、今まで国際協力、子ども、福祉、農業と少しずつ関わってきたけど、これらはすべてつながっていると感じていて。
それは、小さい頃からの目標「どこに生まれても、自分の才能や能力を信じて生きられる世界にすること。すべてのいのちが安心して生きられる世界にする活動をすること。」につながっているんだと思います。

子ども、大人も含めて人はみんな、それぞれ生まれ持ったその人にしかできない、その人だからこそできるものがあり、人はみんな違うからこそ面白く、何者かになろうと必死にならなくても存在している、生きているだけで十分奇跡的で、すばらしいこと。

植物はみんな、自然界の中の関係性で成り立っていて、相性が良い植物たち、そして周りの虫や動物たち。自然界の法則に学ぶことはたくさんあって。本当に多様な世界で、だからこそ地球は美しくて。

社会福祉の考え方は、誰かやどこかただ1つを問題視するのではなく、すべては関係性で成り立っていて、その調整をしてくこと、そういった多角的な視点で捉えてアプローチをしていくこと。

大好きなヨガの考え方でも、良い悪いでジャッジすることはなく、私たち人間は関係性の中にあり、考えたり悩んだりするこの心やからだをもったものを自分だと思い込んでいるけど、実はもっともっと大きなものとつながっているのが自分であり、考えや心をケアするのが自分。みんなそうしてつながっているんだってこと。だから人と比べる必要なんてないし、もうきっと、いろいろなことが与えられているから、何かにがんばってなる必要もなくて、ただただ自分を信じて、安心して、自分に与えられたものを発揮していけばいい。

これは自然の中にも見ることができて、こんなに多様で美しい植物や動物がいて、それぞれの関係性があって、人間もそのひとつ。この地球で生きる1パート、1つの存在なんだってこと。

今までのことを通してずっと、このことに気付かせてもらってきたし、
そのことで安心して生きられるようになってきたし、

そうした場所を今度はわたしもつくりたい。


Dana Villageに来て、改めて、

そうした世界や地球、植物や他の生き物とのつながり、関係性の中で私も生かされているということ
そう感じて、安心できる場所が広まるように、もっと当たり前になるようにどこに生まれても、そう感じれる世界にしていきたい

と願う、自分に気付くことができました。


自分のことをふりかえる、言語化するってたいせつだね。
今も今までもこれからも、たくさんたくさんありがとう。
どうこの願いを実現していくのか、これからの出会いにもわくわくしながら、大切に生きていきたい。

どうか、見守っていてください。
そして、一緒にそんな世界にしていきましょう。

2022年、8月になる前に。
言葉として出てきてくれて、
読んでくれて、
ありがとう。

ちかこ

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