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この命は神も意図しない挙動をしている

通りすがりの死神が足を止め、満開の桜に見入っていた。おもむろにスマホを取り出し、静かに写真を撮る。満足げな表情を浮かべた死神は、再び歩き出した。遠ざかっていく背中に花びらが舞い散る。大層な儀式も明確な終了宣言もなく、こうして春は終わる。

案外あっけないものだ。

たぶん、自分の命の終わりもそんなものだろう。




民家の庭に生を受けた柑橘の木から大きな実がひとつ落ちて、アスファルトの上で割れていた。ゆずだろうか。

そのすぐそばで、まだ新しくどこかこなれないスーツを着た死神が悲しそうに佇んでいる。どうしたの、と声をかけた。本人にそんなつもりはなかったのに、柑橘の木に鎌がひっかかって実が落ちてしまったらしい。

「鎌の取り扱い方を教わったばかりなのに」

同じ失敗は二度としないように気をつければいいんだよ、と慰める。同時に、柑橘の実ひとつでこんなにも感情が揺れ動いてしまう彼が死神なんてやっていけるのだろうか、と勝手に心配になってしまった。ゴールデンウィーク前後ぐらいには辞めているのではないか。

「つらいなら辞めちゃいなよ」とか、「三年は続けたほうが良い」とか、周りはいろいろ言うだろう。だがきっと、「絶対に正しい選択肢」はない。辞めるにしても辞めないにしても、大事なのはその選択をした後につづいていく道を、自分が正解にできるかどうかだ。

かくいう私も、まだ正解にできていませんけれども。



終わりが来るまで正解はわからない。

今この瞬間に下した決断が、その直後には「正解を選んだ」と思えたとしても、何年後かに起きたできごとによって「やっぱり不正解だったのではないか」と思わされる。生きているとそういうことがある。しかも、それがたびたび繰り返される。

時間遡行の術を持たないこの世界で、命はただ前に進んでいくしかない。いつ、どこで死神と鉢合わせするかもわからない。ついさっき出会った天使も、真の姿は悪魔かもしれない。わからないことだらけのまま歩んでいるのに、なぜか命は変わらぬ明日が来ると当たり前のように信じている。こんなのバグってやいまいか。

もしかしたら、世界にとって生命こそがバグなのだろうか。

世界は完璧なプログラムによって動いていたはずなのに、と神様は頭を抱えた。バグを取り除くために死神が送りこまれたけれど、バグは猛スピードで自己増殖を繰り返して手に負えなくなった。だから神様は諦めて、横になって半分寝ながらこのプログラムの意図しない挙動を眺めつづけている。ときどき、ポテチを食べながら気まぐれに手を加える。それは、小さな生命たちにとっては奇跡にも惨劇にも啓示にもなる。





すべての生命が世界というプログラムにとってバグであるならば、この人生そのものも意図されていない挙動でしかない。何に決められたわけでもない存在、この道。つまり意味を与えられているものではない。

そして「この人生は正解だったのか」「この命に意味を与えられたかどうか」は、進んでいく道の先で死神に微笑まれるときまでわからない。いや、そんなことを考える暇すらないまま世界から取り除かれるかもしれない。歴史には、取り除かれたあと長い時間が経ってから多大な意味を与えられる生命すらあった。

だからこの命でできるのは、せいぜい今この瞬間という地に足をつけて、ちゃんと己を生きること。ほかのバグに囚われるなかれ、死神を過剰に恐れるなかれ。


花が散った木に緑が芽吹く。新緑の季節がやってくる。続く雨に世界が濡れるまでの束の間、爽やかな風に身をさらす。私もあなたも、今日この日を生きている。




























月報

写真と文章を組み合わせて月に一本公開するこのnote、始めてから一年が経過し、今回で13本目となった。意外と続けられていることに驚く。Twitter…じゃなくてXで「作家が締切を守るのではなく締切が作家に書かせる」という言葉を見かけた。まったくその通りだと思う。締切がないとだらけて何もやらずに終わってしまう、私はそういう人間だ。月末はいつも自分で自分に課した締切に自分が追われた。今年度もそうなるだろう。まだまだ続けていきたい。

100円ショップでかわいいタオルハンカチを買った。ハンカチはミニサイズでタオル地が好きなのだけど、これが意外と世の中にない。ミニサイズってのが特に。100円ショップのこのワンポイント刺繍シリーズがお気に入り。チョイスが女児すぎる気がしないでもないが、まぁ良いだろう。自分が気に入っているのだから。


今月のプレイリスト

ガールズパワー / KARA

No Logic / 巡音ルカ(KazearashiP)

フライデーズハイ / Penthouse

   


  

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。