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鮭ゼリー
みんながnoteを始め過ぎている。
今のうちに始めないと、俺はこの波に乗り遅れ、沖に取り残され、noteの浜辺に集まってサンダルで書いた巨大な「n」の字を中心に記念写真を撮っているみんなの背中を見ながら、緩やかに溺れ死ぬことになってしまう。
とにかく今日のうちにnoteを始めなければならない。
今日は何もなかった。
事件も挫折も達成感もない、体験版みたいな1日だった(強いて言えば、皇室の話題の締めでアナウンサーが明らかに「おニュース」と言ったのは面白かった)ので、主題を自分で見つけないといけない。
周りの誰とも被らない、似ていないテーマを「今日」と言える時間中に見つけ、文章に仕上げる。
急げ。俺は逆張りシンデレラ。
昼の12時になった。
俺は投げ出したのだ。そして寝すぎたのだ。
3つの夢をみて3つとも取るに足らなかった。
1つ目は醜い欲望の具現化で、もう2つはニコニコ動画だった。
3つ目の夢は2つ目の惰性に違いなかった。俺はこの3つ目の姿勢が気に食わない。お前はコバンザメだ。金魚のフンだ。タコスミだ。
上の文章からわかるように、俺は沈みかけている。淡水魚も混ざっているのは幻覚だろう。俺は死にかけている。
栄養を補給しようと冷蔵庫に手を伸ばす。
ゼリーがある。2週間前からここにある。
桃の味がしそうな色のゼリーの上部にクラッシュした桃が浮いている。
蓋を見ても側面を見てもなんの自己紹介もない。すごい自信だ。
その自信が仇となっている。
勿論これはどう見ても桃ゼリーで、我々一家は桃が大好き。「桃の日」という独自の祝日を持っている位だ。(当然土日に重なれば振替休日になる。)
しかし、その黄桃具合とクラッシュ具合が絶妙なあまり、我々の脳裏に「ひょっとしたらこれは鮭なのでは?」という仄かな疑惑が持ち上がる。
鮭でゼリーを作ろうなどという発想を持つ企業はないし、あったとしてそのような代物がこの家まで辿り着くことはない。(この家の人間は全員そこまで面白くないしそこまでつまらなくもない。)
だが、万が一これが鮭だったら?
・パターン1 美味しくなかった場合
普通に考えて、魚をゼラチンに浮かべて美味しくなるはずがない。
我々は普段、甘いゼラチンに慣れている。これは、鮭ゼリー側からすれば“慣れすぎている”ということになる。
普段食べる鮭の味を再現しようという発想の商品なら、ゼラチンには砂糖の代わりに塩が練り込まれるだろう。
甘いゼリーに慣れた脳はしょっぱいゼリーを受容できず、拒否反応を示すはずだ。
つまり、鮭ゼリーが美味しくないと言うより、こちら側に鮭ゼリーを美味しがるノウハウがない。
舌は右翼なのだ。
そして我々家族は不味いものを食べたくないという点で一致している。
・パターン2 美味しかった場合
こちらの方が厄介なことになる。
もし、鮭ゼリーが鮭とゼリーを混ぜただけの単なるウケ狙い商品ではなく、鮭、ゼラチン、その他材料の完璧な配合率と独自の製造法によって作られた、奇跡的な新製品だったとしたら。
鮭ゼリーは美味しい。そしてこの美味しさは、鮭のものでもゼリーのものでもない、完全に鮭ゼリー独自の食感と味わいなのだ。
だからこの味をもう一度味わうためには、また鮭ゼリーを買うしかない。
鮭でゼリーを作ろうなどという企業が複数現れるはずがないので、鮭ゼリー業界は一社独占状態となる。
鮭ゼリーの値段は少しづつ上がっていく。
我々は鮭ゼリーを買い続ける。この頃にはもう鮭ゼリーを食べないと満たされない心の穴ができてしまっており、多少値上がりしたくらいでは気にもとめなくなっている。むしろ、正当な値段だ、これまでがおかしかったのだ、などと宣い出す。
夕方のニュースには「巷では、鮭ゼリーがブームになっています」というような閑話休題が挟まれるようになる。それを読む彼女も鮭ゼリーを食べている。
日本中どこへ行っても鮭ゼリーだ。
サークルで唯一食べるのを拒否していた彼は、この間先輩に無理矢理食べさせられ、今では自分から欲しがるようになった。
こうして日本経済は鮭ゼリーを中心に回るようになる。
悲劇が起きた。過剰漁獲の末、日本海の鮭が絶滅してしまったのだ。
すぐに輸入品での生産が開始されたが、やはり日本の鮭とは脂の乗り方も食感もまるで違う。
輸入鮭に特化したレシピを考案出来ればいいが、生憎発明者は相当前にクビにしてしまい、今では会社と複数の裁判を抱えている関係だ。
人々は質の悪い鮭ゼリーを食べるようになる。
勿論、これでは何も満たされないことはわかっている。それでも、鮭ゼリーを食べたいという欲望を抑えるためにはこうするしかない。
アナウンサーは声色を低くして「続いては鮭ゼリー依存問題です」などと言い始める。相変わらず彼女は鮭ゼリーを食べている。
このようにして鮭ゼリーは日本を破滅に追い込むことになる。
この一口がその一歩目になってしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。
以上の理由から、我々家族はこのゼリーを口にすることをためらっていた。
そのような会話があったわけではないが、このゼリーが家に来て以降、4人共それぞれ家を空けることが増えた。張り詰める緊張感に耐えかねたのだろう。
しかし、元々我々は桃が好きなのだ。桃で節分をやった事がある位だ。(「鬼は外」と言いながら桃太郎の象徴である桃を鬼に投げつけるという行為は、今考えてもかなり筋が通っていた。)
恐らく桃なのにそれが食べられないという状況は歯がゆく、受け入れ難い。
だから、このゼリーを開けずに捨てることは出来ない。誰かが食べないと終わらない。
なら、俺が終わらせよう。
俺はあのゼリーを手に取った。相変わらず冷たいだけでなんの文字も書かれていない。
丁度お茶を入れに来た母が、俺の手元を見て一瞬立ち止まり、何事もなかったかのようにキッチンへ入っていった。
俺はギザギザしたスプーンを取り出した。
ギザギザしたスプーンを持っているにしては、俺の顔はあまりにも強ばっていた。
「これ 桃かな」
できるだけ何気なく母に言う。
「桃だと思うけど」
母は皿洗いの続きをする。
「鮭かもって思って」
母は笑わなかった。
「鮭なわけないでしょ」
母の声は少し大きくなった。
俺は既に蓋を外し、スプーンを構えている。
俺は興奮していた。
見れば見るほど桃ゼリーだ。
プラスチック越しに見るのと直接見るのとでは、光沢の情報量がまるで違う。
ゼリーの表面からは、砂糖に起因するであろうベタベタ感が感じられた。
中央に浮遊する物体は繊維質を剥き出しにして、自分が植物であることを主張している。
これが鮭だったら俺はどうなってしまうんだろう?
スプーンは驚くほどすんなり入り、驚くほどすんなり持ち上がった。
「貴様は俺に殺されるべきなんだ」というフリーザのセリフを思い出した。
このゼリーが自分に食べられることは運命で決まっていて、自分もゼリーもそれに抗うことが出来なかった、その結果が今であるように思えた。
ゼリーをスプーンごと口に入れ、唇を弱く閉めてスプーンだけを取り出す。
俺はこれをファーストキスにカウントすることだって出来た。
ゼリーは甘かった。
知っている甘さだった。
産まれたばかりの赤子のような、瑞々しい甘ったるさ。
春はもう終わっていた。
腹が減った。
車内では俺がいない間に誰かが言ったらしいつまらない冗談が擦られ続けている。
俺が岸に辿り着いたのは満潮の時だった。みんなは浜辺が乾くのを待ってまた同じ写真を撮ろうと言ってくれたが、それは俺の方から断った。
両手にレジ袋を持った仲間が手を振っている。
人数分のたこ焼きを買ってきてくれたらしい。
俺達はたこ焼きにありついた。
食べるのが早い奴等が、ついでに買われたご当地グルメを物珍しそうに物色している。
「鮭ゼリー意外と行けるな」運転席の男が言う。
「マジ?」「予想が低いからでしょ」などとヤジが飛ぶが、彼は夢中で食べきってしまった。
みんなたこ焼きは食べ終えた様子だったので、ゴミ捨て担当の俺は車内のゴミをレジ袋にまとめ、車を出て駐車場外れのゴミ捨て場へ向かった。
たこ焼きの皿とうなぎコーラの瓶を捨てた。
ゼリーの容器に書かれている社名と商品名を確認してから、それをレジ袋に入れ直し、レジ袋ごと捨てた。
どうやら「ゼリー寄せ」という、塩味のゼラチンで魚を固めたイギリス発祥の料理があるらしい。日本語では「煮こごり」という。
「ゼリー寄せ」は日本でも上等なおかずとして親しまれているらしく、家によっては弁当の一軍として採用されていることもあるようだ。
俺は自分の無知に踊らされていた。
冷蔵庫のゼリーはただ放置されていただけだった。
車に戻ると、車内はまたあの冗談で盛り上がっていた。
選挙に行こうと思った。