女神の仮面/3.舞い降りた神
身体を揺さぶる振動に跳ね起きた。
夜明けが来ていたんだ…。
扉を休みなく叩く音。僕たちの名を呼ぶ隣人の声に、恐る恐る鉄扉を開けた。
彼らもきっと声を聞いていたのだろう、玄関先には大勢の見知った顔があった。
みんな思い詰め、泣き腫らし、蒼ざめた顔で見つめる。
一晩中、扉に縋っていた僕は、酷い顔をしていたのだろう。
漸く頭を突き出した瞬間、全員が涙を溜めた。
彼らは両親の姿を見せないようにした。
だけど、力任せに押し退けると、脱兎の如く飛び出した。
陽に照らされた両親は無残な姿だった。
上に被さった父さん。その下では、母さんが丸くうつ伏せている。
僕たちは呆然と立ち竦み、暫くこの現実を疑った。
見る影もない両親の姿に、弟が泣き出すかと思った。
でも、意外にしっかりと受け止めていた。
弟と二人、父さんを有りったけの力で起こした。
手を貸そうとする隣人に、僕は頑なに断った。
固い。まるで、石のよう。父さんは不思議なほど、体勢を崩さなかった。
母さんの懐に守られていた妹は、幸運にも一命を取りとめていた。
「生きているぞ…」
周囲から喜びの声が上がる。
だけど、喜んでばかりはいられない。彼女の両目は、残酷に裂かれていた…。
僕は無我夢中で、両掌を傷口に当てていた。
幼い頃から母に伝授された技。
いつか立派な<癒し手>になって、人々の為に生きる。
そう心に決めていた。
そんな僕にとって、これが生まれて初めて癒し。
まさか、妹の為に使う事になるとは…。
掌の間から漏れる、白く小さな光。
それを、ラカンカは不思議そうに見つめた。
「<癒し手>だ…」
隣人たちの驚嘆。掌の熱に手ごたえを感じる。
せめて傷跡だけでも無くしてやれたら。今ならまだ間に合うかも…。
無言で立ち上がると、母さんの腰袋から覗く療材を探った。
母さんがやろうとしていた事…。僕なら、きっと出来る。
隣人たちを振り切り、弟妹を連れて館へ戻った。
それから連日、ミオと二人で部屋に籠った。
全身全霊を注ぎ、癒しに集中する。
両親の弔いの時も、ラカンカが寂しく泣いた時も、一歩もそこから出なかった。
「オプシディオ、開けなさい!」
隣人たちは皆、僕の気がおかしくなったのだと思った。
誰に何を言われようと、全く顧みない。
ろくに食事も取らず、妹と籠りっきりの毎日。
まるで癒し手の神が僕に宿り、奇跡の力で支配しているかに見えた。
ミオの全身に手を当て、蝕む病を探る。
そして、幾日も経ったある日、とうとうそれをつきとめた。
ミオは病なんかじゃない。心でモノを見る、生まれながらの<心眼>。
しかし、皮肉なことに、完全に視力を失うことで、力のバランスを取り戻しつつあった。
ミオを抱いて漸く部屋を出た時には、二十日が過ぎていた。
狼狽する隣人。
痩せて乾いた身体を見つめ、暫くの間、言葉を失っていた。
彼らの間から、小さなラカンカが飛び出して来た。
がむしゃらに抱きつき、僕の胸に顔を擦り寄せる。
「一人にして、ごめん…」
ミオの為とはいえ、幼い弟を置き去りにした。
「親の弔いもしないとは…」
隣人たちの非難。返す言葉もなく、弟を強く抱き締めた。
すると、彼は首を振った。
安堵でくしゃくしゃの顔を上げ、僕だけに聞えるようにそっと言う。
「好きだよ…オプシディオ」
大粒の涙が溢れ出した。
その言葉は魔法のように、僕の両肩に取り憑いたモノを払い落した。
ごめん、ラカンカ…。
これからは僕が守る。もう、誰にも、辛い思いはさせない。
ミオとラカンカを抱きよせ、啜り泣いた…。
十三になる頃には天才的な<癒し手>として名が知れ渡っていた。
一心不乱に没頭し、術を磨く。
力を得れば得るほど、それと引き替えに、見えない憎しみが膨れて行った。
<真(まこと)の名を呼ぶ者>の不在で、奈落に落ちた世界。
傷ついた隣人が運ばれて来るたび、両親を思い出した。
同時に、無力だった自分の姿を突きつけられる。
あの時の僕とは違う。もう、何も出来ない僕じゃない。
どうしようもない苦しみが甦り、無力な子供へと引き戻す。
幸せを奪った一族が憎い。
僕の魂を奪った一族が、憎い…。
両腕の間から顔を上げた。
蒼ざめたもう一人の僕が、鏡の中から見つめる。
一族に忠誠を誓いながら、一族を憎む顔。
女神の仮面が、僕の醜さを覆い隠していた。