料理は好きですか? と聞かれたら……
最近、ずっと抱えてきた料理への違和感が、「見事に言語化されている!」と感じたドラマに立て続けに出合った。
一つは「作りたい女と食べたい女」(NHKで12月後半に“夜ドラ”として放送されていた)。そしてもう一つは、「今夜はすきやきだよ」(テレビ東京で1月〜金曜日の深夜帯に放送している)である。
料理や家事などの「女性に求められること」にぶつかりながら、登場人物が自分の人生に向き合っていく話だ。
料理を通して「当たり前」を問う2つのドラマ
どちらを見たのも偶然で、そんなドラマをやるなんてことは全く知らなかった(もちろん原作のマンガも)。
「作りたい女と食べたい女」は、初回の放送をただBGM代わりに流していただけだったのだけれど、ある場面を境に、食い入るように真剣に見てしまった。
それは、主人公の一人である女性「野本さん」が、職場に手作りのお弁当を持参して食べているシーン。同僚たちは、「オレも彼女に作ってほしい〜」「絶対いいお母さんになるタイプですよね」と口々に感想を投げつける。
それ対して彼女は心のなかでつぶやく。
「好きで料理しているだけなのに、それを全部男のためと回収されるのはつらい……」
おお、まさかの展開!! 料理がテーマで、しかも野本さんを演じているのは比嘉愛未さんだったこともあり、「美人が腕をふるう料理ドラマ」なのかと思いきや、全く違った方向性に走り出してびっくり。
その後もう一人の主役で、食べることが好きな春日さんが登場し、野本さんは大好きな料理を好きなだけ作ることを、春日さんはそれを食べることを堪能しつつ、交流を深めていく。
「今夜はすきやきだよ」も、女性二人が主人公だ。家事全般苦手だけど恋愛体質で結婚したいあいこと、料理家事はどっちも得意、でも恋愛に興味のないともこ。同級生の結婚式で再会した二人が、意気投合して共同生活を送ることになって……という展開。
初回の放送で、バリバリ働くあいこが婚約者に「料理やそうじはアウトソーシングしては?」と提案したことがきっかけで、フラれてしまうシーンが印象的だった。挙句の果てに、「おれの母親は仕事も家事もどっちも両立してたよ」という捨てゼリフ……。
ドラマとわかりつつ、モヤモヤが止まらなかった。料理や家事は人それぞれ得意不得意があるのに、なぜ自分の母親を引き合いに出すのか……。
とまあこんなかんじで、どちらのドラマも料理や家事をとおして、アラサー女性の悩み、違和感、生きにくさ……などを描いていく。
「押し付けられた価値観」としての料理
2つのドラマを見て、ああ、とうとうこんな時代がやってきたのね、とすごく感慨深かった。テレビという不特定多数の人が見る場所で、「料理の捉え方に意義あり! 」と大きな声で言っても許されるなんて!!
私はアラサーじゃないしけど、もう随分前から、何なら高校生くらいから、「料理」によってもたらされる「こうあるべき」という圧力を強く感じてきた。
料理って、女性にとって、独身時代は「女らしさ」(男性が好きな女性のとしての価値)のバロメーターであり、結婚して子どもができると、「できなければ失格」の烙印が押される恐ろしいもの。少なくても私はそう捉えてきた……。
つまりずっと他人によって「押し付けられた価値観」であって、自分の好き嫌いなんて挟む余地なく、「女性に生まれたなら必ず(誰かのために)するべき」と決められた行為だった。
だからこそ、私は「料理が嫌い」だ。いや、料理を作ること自体が嫌いだったわけじゃない。食べることもお酒も好きだから、自分のために作るごはん、つまみ、パートナーとわいわい言いながら一緒に作る食事は好きだった(とは言え、決して得意なわけではない・笑)。
でも、「料理が好き」と言えば、「作りたい女と食べたい女」の野本さんように、男性受けを狙った発言と受け取られる。だから20代の頃は、口が裂けても言わなかったし、言いたくもなかった(もし私が言われた立場でも、そう勘ぐってしまうだろう)。
そして、30代で家族、主に子どものために食事を作らざるを得なくなってからは、文字通り「嫌い」になった。
好き嫌いの多い乳幼児が食べるメニューを毎日考えるのはひと苦労だし、自分が好きでもない味付けの料理を作るのって全然楽しくない。にもかかわらず、なぜか母親ばかりが子どもの食事を、それも栄養バランスの整った体にいい料理を作って、子どもの健康と成長の責任を担わされる。
シングルマザーでない限り、パートナーである父親がいるはずで、子どもの健康は両親2人で担うものでは? 父親だって料理ができてしかるべきでは? そんな疑問が頭から離れないのに、周囲からは絶えず、料理をするのは母親前提の情報が与えられ、「できて当然」というプレッシャーを感じ続ける……。
私はこれまで、こうした「料理の呪い」に囚われ続けてきたのだと思う。
「料理の呪い」を超えて
裏返えせば、私はきっと、「料理」を嫌うことで、「他人から押し付けられた価値」を全力で拒絶してきたのだ。
女性なら、好きな男性のために料理を作るのは当然。母親は愛する子どものために、毎日手作り料理をふるまうべき。そんな、性別によって役割を押し付ける価値観を。
どこかで「料理」という単語を目にするたび、耳にするたびに、素早く身構えて、心のなかでファイティングポーズを取る。
「料理」を通して、またも納得できない価値観を押しつけられるのではないか、戦々恐々とする。そして、それに飲み込まれまいと必死で抵抗する(笑)
でも、落ち着いてよくよく考えてみると、料理って本当は、誰もが自分のためにする「生きるのに必要な行為」のはず。
だから、誰でも最低限のことはできた方がいいのだろうけれど、それをどれだけ自分自身が担うのか、家族と分担するのか、もしくはアウトソーソングするかは、その時々の状況によって自分たちで選択していい。
誰だかわからない「世間」が押し付けてくる価値観に従う必要も、それを恐れる必要もなかったのだ。大事なのは自分がどうするか、それを周りに伝えて、どう折り合いをつけていくか……、だったのだな。
「違和感」はもう飲み込まなくていい!
この2つのドラマは、長年心の中でモヤモヤしていた私の料理に対する「違和感」を、解きほぐすきっかけを与えてくれた。
そして、もう違和感をひた隠しにして戦わなくていい、吐き出してもいいのだと、勇気づけてくれているようにも感じた。実は多くの人が、私のように「料理」の名を借りた価値観の押し付けに、辟易していたんだと思う。
だからこそ、それがマンガになり、ドラマ化までされたのだろう(しかもほぼ同期時期に2本も!)。
これからは、自分の違和感を積極的に言葉にしていこうと思う。2つのドラマが私の心のわだかまりをほぐしてくれたように、私も誰かの悩みやモヤモヤを解消するために、少しは役に立てるかもしれないから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?