【245日目・朝】自分自身も含め人の弱さを認め、受け入れ、人間の弱さや未熟さや至らなさを責めずにいられますように。「メメント人の弱さ」・・・千日祈り on Facebook アーカイブ 2020.9.23
瞑想動画https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224975441635748
祈り動画 https://www.facebook.com/hamadachizu/videos/10224975159468694
本日の瞑想は、
天と地を結ぶ光のパイプとなり、
地上を慈愛のエネルギーで満たしていく瞑想。
中村 会子 (Aiko Nakamura)さんのヒルデガルド聖歌「Hodie aperuit nobis clausa porta」をBGMに流しています。
さて、祈ります。
自分の弱さを受け入れることができますように。
みなさんがみなさんの弱さを、
わたしがわたしの弱さを
受け入れることができますように。
わたしが周囲の身近な人たちの弱さを受け入れることができますように。
わたしの身近ではない芸能人や政治家の方などの弱さを受け入れることができますように。
「弱い」ということが人を責める理由になりませんように。
とはいえ、わたしも弱い人を見たら責めたくなります。
例えば「政治家のくせに」とか言いたくなることもあります。
責めやジャッジをしたくなる自分の弱さも受け入れることができますように。
人は人である以上、欠点だらけです。
ダライラマとか千日回峰を行った阿闍梨とかは違うのかもしれませんが、大抵の人は他人の弱さを見た時にゲンナリして批判心が湧いてきます。
責めたり、非難したり、裁いたりする前に祈れますように。
それが習慣となりますように。
それが世の中に広まりますように。
まず弱さを悲しみ、そして祈る。
そうして、祈りに基づいた行動がとれますように。
弱さを乗り越えやすくするための手段が持てますように。
音楽を聴くとか。祈りとか。アートは助けになりますね。
「メメントモリ」という「死を忘れるな」という意味のラテン語があります。
「いずれ自分は死ぬ」ということを頭の隅に入れておくと生き易くなる。
命が永遠だと勘違いすると、例えば大切な人との関わりをないがしろにしたりする。一期一会の付き合い方ができなくなる。
わたしは、「メメント人の弱さ」という言葉を作りました。
最近、自分の中で流行っていてよく使っています。
「メメント」が「覚えておけ」という意味なので、
「人は弱いということを頭の隅に置きながら生きる」
という意味になります。
こうすると、人を責めずに済み、自分を責めずに済みます。
周りに法外な要求をせずに済みます。
「信じてたのに!」とか「裏切られた!」とか言わずに済みます。
人は自分の理想通りには動かないことはあります。
例えば、普段とても良いことを言っている人が、言っていることと逆のことをしてしまったとか。
自分の理想通りに動けないことはあります。
その人だって悔しいのです。
だからといって見過ごすのも違います。
それもまた弱さの発露です。
お咎めなしにするのではなく、感情に飲まれずにただ淡々と伝える。
非難し合うというのは関係性を壊しますが、そんなことを起こさないために「メメント人の弱さ」がよいと思うのです。
自分自身の弱さを認めて受け入れられますように。
人の弱さを認めて受け入れられますように。
人間の弱さや未熟さや至らなさを責めずにいられますように。
人である以上、必ず弱くて未熟なのですから。
弱さを「非難するべき欠点」と見なすのを止めることで、小さな戦争の火種を自分の中から消すことができます。
世界平和は自分自身の心の中から。