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毒親ブルース
昨日の記事で、母親のことについてチラリと書いたが、今日は本格的に書いてみようかと思う。
世間では、「毒親」だの「親ガチャ」だのうまい造語がある。一般に「毒親」とは、ネグレクトしたり暴力を振るったり、子供を始終コントロールしようとしたりする人のことを指すと思う。そういった所謂ハズレと思われる親の元に生まれてしまったら、「親ガチャ失敗」となるらしいのだが、みなさんは、親御さんとの関係いかがですか?
わたしは、片親で育ったので(毎度この説明ウザいでと思われる常連さんすまない。今日が初訪問の方もいるのだ)、母親しかいない。その時点で、父親ガチャはハズレということになる。母親に育ててもらった過程で、叩かれはしたが、怪我をさせられるほど殴られたことはない。ネグレクトもない。他所から見れば、普通のお母さんであったと思う。彼女は生きることに必死だった。子供の小さな心のヒビを気にする時間も心の余裕もなかったように思う。当時、田舎町には離婚してシングルマザーで子供を育てている人は少なかった。子供と自分を食べさせて行くだけで精一杯だったと思う。
彼女は、めんどくさいタイプの人だ。こちらが求めていなくても、自分がやりたいと思った時だけ世話を焼く。そして、それを拒否すると、拗ねて怒るのだ。今時で言う「お母さんヒス構文」も飛び出す。頼んでもいないことをやっては、〇〇してあげたのにと言う。わたしは51歳で、世間的には立派な大人だが、彼女は今もそのままだ。そんな中で育ったわたしは、彼女を心配させてはならない、片親だからと言われないように、ちゃんとしなければならないと常に思っていた。
長らく2人きりの生活だったので、彼女には彼女のタイムテーブルがあり、わたしがそれを乱すことを嫌った。いかなる理由があろうと、彼女を待たすなどは、論外であった。わたしの息子が、迎えに行った夫を長らく待たす事がよくあるが、わたし1人がワサワサしてしまう。夫は全く気にもせず、腹も立たないと聞いたとき、あぁ、これは自分の母親から受け継いだ、負のループだなと思い、イライラしてもなるだけ態度に出さないよう努めている。
彼女は、わたしが大人になってもコントロールしたがった。こうするべき、こうあるべきのオンパレードだった。片親の弊害と言うべきか、彼女が母親と父親の2役を1人でやったように、わたしも、子供と父親の2役をやっていたと思う。彼女は無意識に、子供であるわたしに、大人の部分を求めていた。これは、自分が結婚して子供を持ってみて初めて気づいた。彼女は今後も、その事実に気付くことはないと思う。
結婚してドイツに渡り、子供を産んだ。出産後に退院して10日程で、具合が悪くなり、救急車で再入院。腎盂炎だった。血圧は上が80を切り、高熱が出ていた。入院しても彼女がドイツに来ることはなかった。仕事があるからとか、猫の世話があるからとか言っていたけど、正直、1人でドイツに来るのが怖かったんだと思う。ここが、彼女とわたしの決定的に違うところだ。わたしは、息子が地球のどこにいても、全部ほっぽり出してすぐに駆けつけるだろう。それが、たとえ行ったことのないアマゾンの奥地であってもだ。これは愛情がどうとかの問題より、ただ単に別の人格というだけだ。彼女がそういう人だと知っていたので、自分がどうにか出来るから大丈夫と彼女に伝えた。本当は、夫だけではどうにもならず、最終的に、義母に助けを求めた。その方が気持ちも楽だったのだ。
幼い頃から、心配させてはいけないと思っていた。だから、何事も自分で解決したし、困った事があっても相談しなかった。いや、できなかった。結婚をするときでさえ、金銭的にも精神的にも、なんの援助もしてもらわなかった。彼女から援助しようか?何か出来ることはない?などという話もなかった。そう言えば、わたしは彼女に応援してもらったことがあまりない。できなかったことを責められた事はあるが、できたことを褒められるという事が、極端に少なかったように思う。
毒親か?と問われれば、3割ぐらい毒親だったように思う。10割毒親であれば話は簡単で、大人になれば捨てちゃえばいいのである。でも、3割だとそういうわけにはいかない。7割が邪魔をする。
そんな母が、絶賛コロナ禍中の2年前、ガンになった。わたしは、東京から実家に何度も通い、田舎町から神戸まで片道1時間半ほど車を運転し、病院とお医者さんと話をし、手続きも全部やった。クタクタに疲れて、東京に戻る新幹線の中で、ふと「不公平だな」と思ったりもした。けれど、やれることはやった。これが、7割への恩返しだ。彼女は、2年経った今、医者も驚くほどの回復をみせ、なんとか通常の暮らしをしている。
わたしも、年がいっておばあちゃんになったら、こんな風に息子におんぶに抱っこされる日が来るのだろうか?と考えてみた。出来れば避けたい。自分が親とのことで、しんどいと思ったことは、なるべく息子にはさせたくない。夫にも、認知になったら必ず施設、どっちか先に死んで、自分で自分のことが出来なくなったら、これまた施設と言い聞かせている。
自分で子供を産んでみて色々なことが見えてきた。わたしは、本当はこうして欲しかったんだな、ああして欲しかったんだなと苦い思いをした事が多々あった。その度に、息子にはこうなるまいと思ったが、時折自分の中に出現する3割の彼女が、わたしを支配しそうになって焦る。繰り返さないためには、何度も何度も自分を振り返る必要があって、酷く疲れる。
彼女は、今だにコントロールしたがるが、物理的に距離が離れているので助かっている。たまにわたしの息子をコントロールしようとするが、それは上手くいっていない。孫に嫌われるのは嫌なようだ。
先に言ったように、3割毒親の彼女を、完全に捨てることはできない。凄く凄くしんどいとしてもだ。7割が幅を利かせているのだ。
生まれ変わったら、また母の子供になりたいかと言われたら、答えは否だ。こういうと、なんと親不孝なとドン引きされるだろうが、そのぐらい、たとえ7割が幅を利かせようと、しんどかったのだ。母もこんな子供ではなく、もっと優しい子の親になって、その時には、パートナーに裏切られることもなく、幸せに暮らしてほしい。
息子もわたしと同じように、来世はママはパスでと思っているかもしれないが、それはわたしの自業自得なので、致し方ないと思っている。
※イラストお借りしました。t0m0y0さん、ありがとうございます。