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千由昔話〜英会話習得への道〜④

学校に通っている間は本当によく遊んだ。学校の友達とバンジージャンプをしに出かけたこともあった。橋の上から川に目がけて飛ぶのだ。足首のところだけが結えられていて、お兄さんの「ワン、ツー、スリーバンジー」の掛け声と共に飛び降りねばならない。

一回目、無理無理無理ィー。やめようかと思ったが、料金は支払い済みである。無駄にイケメンのお兄さんにも励まされ、2回目で飛んだ。まー怖かった怖かった。自分でやりたいと言ったわけなのだけど、下から見るのと橋の上から見るのでは全然違った。足がすぽっと抜けたらどうしようと思ったが無事抜けず、川にいるゴムボートに体ごと回収された。何かに思い悩んでいる人がいるなら、ぜひ挑戦してもらいたい。悩みが吹っ飛ぶぐらい怖いから。

学校の友達とは、小旅行に出かけたり、お家で夕飯会などをよくやった。年齢がバラバラだけど、誰も気にする人などいなかった。

そうして瞬く間に2ヶ月がすぎ、3ヶ月目にクラスを移動することになった。そしたら大変、担任の男性教師の物言いが気に入らず一悶着。英語がわからなくてもバカにされている感じはわかる。私はそういうのが我慢ならない。授業料は払っているが、授業をボイコットした。当然ボイコット前に、その教師と学校に「あなた方は間違っている」と文句を言うのも忘れなかった。

毎日やることがなかったので、映画館に通い詰め、片っ端から映画を観た。たった3ヶ月のスクールでも学割がきいたので、来る日も来る日も映画を観た。これはリスニングの勉強にはもってこいだった。

このまま卒業までボイコットでいいわと思っていたら、学校から呼び出しを食らった。やんのかごらぁぁぁの勢いで行くと、なんと学校側が謝った。そしてボイコットした1ヶ月分を延長してくれた。

こうして同期が卒業するのを見送り、私はもう1ヶ月学校に通うこととなった。

だがしかしここで問題が。学校3ヶ月、ホームステイ3ヶ月は渡航前に契約と支払いは済ませている。3ヶ月が経てばホームステイ先から出なければならない。家なき子である。

そんな時、毎朝乗るバス停でバスを待っているといつも同じ時間に乗る女性に話しかけられた。普段は挨拶程度の関係であったが、話のついでにもうすぐ家なき子やねんと話すと、「うちに来ればいいわ」というではないか。結婚が半年後に決まっていて新居のつもりで2LDKのマンションの一室を買ったと、「一室空いてるから貸すわよ」と言った。

まじか!
次の家きーまった!

こうしてホームステイ先から目と鼻の先に歩いて引っ越した。女性は香港からの移民で、私の学校が入っているビルにある銀行に勤めていた。

学校にいる間は友達と遊び、並行して例のカナダ人にも会っていたので大変忙しかった。学校が終わりを迎える頃、私もアルバイトを探さなければならなくなった。

そもそもアルバイト経験のないまま社会人になったので何をすればいいかわからない。友達に尋ねるとお店なら張り紙あるから突撃で行ってみなと言われた。

バンクーバーの繁華街にあるロブソンストリートにそのお店はあった。お土産屋さんで中には男性がいた。最初日本人かと思ったら、これまた香港人の移民だった。サラッと面接されて採用決定。渡航から5ヶ月が経っていた。

前回のお話でたぶん日本人はやったことがない仕事と書いたが、それは副業の話。

カナダ人の彼は、風来坊のような人だった。会社に属さず友達の仕事を手伝ったり、ボートを直したりよくわからない感じで生計を立てていた。結婚したら絶対ダメな感じの人だった。

その仕事の一つに今で言う転売な仕事があった。カナダではフリーマーケットやガレージセールが毎週ある。ガレージセールは、名前の通り自宅のガレージや庭を使い個人でフリーマーケットをする。新聞に情報が出たり、週末になるとあちらこちらにサインが出る。朝早くそれらを巡り仕入れする。何を買うかというと、ポート関係のもの。バンクーバーには沢山マリーナがあってボートを持っている人が多い。みんなDIYなどでボートを直す。だからその時にいる内装関連や、パーツ、ライフジャケットなどを買う。マリーナに彼の友人の店があり、新品と中古が取り扱われていた。内装なんかはビンテージ感が好まれて新品よりも中古を求める人が多い。

私はボートについては詳しくないので、遊び半分で仕入れたものを置かせてもらっていたが、それでも月2〜3万になった。

売れ残りを持ってフリーマーケットに参加したりもした。これがまた楽しかった。

ちょこっとフリーマーケットの話をしたいが長くなったので次回につづく。


※イラストお借りしました。lisa500mlさん、ありがとうございます。

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