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さようなら、こんにちは

某日、千由家、新しい車を購入しました。12年乗ったマツダのベリーサとさようならです。

このベリーサ、大変優秀で、東京の狭い道や駐車場にフィットするサイズなのに、中身は広く、馬力も申し分なく故障もしない。ですが、12年もするとちょこちょこ部品交換や、メンテナンスにお金がかかる事、更に13年になると税金も上がると聞いて、夫と相談して新車を購入しようとなりました。本当なら新車もベリーサが良かったのですが、もう作っていないとのこと。凄く残念です。

ベリーサを購入したのは、息子が幼稚園から小学生になる時でした。息子が1歳半の時に帰国して以来、車なしの生活をしていましたが、同時期に引越しをして、駐車場付きの物件であったため、ベリーサを手に入れました。この車は、息子の成長と共にあったので、手放すと決まってから既に心は寂しさでいっぱいでした。

新車の納車日は、12月になると思いますと言われていたため、まだ時間があると思っていたら、ディーラーから電話があり、10月中に納車出来ますと言うではないですか。え、あと1週間?突然決まったらさようならの期日。段階を踏んでさようならの気持ちを整理しようと思ったのに、、、。

さようならって悲しいね。

考えてみると、今まで自分がさようならを言われる立場に立つことが多かったように思います。例えば、ワーキングホリデーに旅立ちますとなれば、今まで勤めていた会社の人や、友人からさようならを言われます。ですが、自分は次の場所が決まっていて、そこに挑戦すると言う目標があるため、忙しすぎて寂しさを感じることがあまりありません。結婚してドイツに渡る時も、帰国が決まり日本に行く時も、国内での引越しも、いつも自分はさようならを言われる側だったのです。ここに来て、久々のさようならを言う側に立たされました。相手は車ですけど。それでも、寂しいと言う気持ちは変わりません。

私は昔から、さようならが苦手でした。なんだか、もう会えない気がして。置いてけぼりになったような気がして。もう会うことがないと分かっていても、今だに、別れの時は、さようならやバイバイは使いません。またねって言います。またねがないと分かっていても、またねって言わずにおれないのです。

年を重ねると、こんにちはの数よりさようならの数の方が、多くなるような気がします。そしてそれに気づくのです。なんとも言えず、気持ちが沈みます。

夫や息子は、既に新車の話しかしません。この違いなんなんでしょう。夫に「ベリーサのことはどうでもいいの?可哀想と思わないの?」と捨てられた女ばりに言ってみましたが、笑われただけで終わりました。わたしも、あなた達みたいに能天気になりたい。

たかが、車のことでそこまで?!と言われると思いますが、そう考えちゃうんだから仕方ないです。ホルモンのバランスが悪いのか、年をとったからなのか、ただそういう性格なのか。新車が来る喜びよりも、ベリーサを手放す寂しさの方が勝っているのです。

そして、新車納車日となりました。夫がディーラーの店まで行くと言うので、ベリーサと最後のドライブです。新しい車に乗って、お店を出る時、ベリーサが駐車場に残っているのが、なんとも悲しかった。夫が、新しい車でドライブしたいというので、お台場まで。景色のいいホテルでランチしました。

今までありがとうベリーサ。
またね。


※イラストお借りしました。mikitanishi3さん、ありがとうございます。

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