千由昔話〜英会話習得への道〜⑥
3ヶ月のホームステイを終了した後、バス停で出会った女性宅にその女性が結婚する半年後まで間借りすることになったのは以前の記事で書いた。
新築のその家はとても綺麗で住みやすかったが、一緒に住もうと言ってくれた彼女はちょっと神経質で、少しだけ気を遣いながら過ごした。最後の1ヶ月は、彼女の結婚式の準備を手伝ったりもした。結婚式に参加したが、あれは香港スタイルだったのだろう。
後日、準備を手伝ったお礼にと両家の家族親戚の食事会に参加した。高級中華料理レストランだったが、これが本物の中華料理だ!っていうお皿がいっぱい並び、中国語が飛び交う中ひたすら食べた。
約束の半年が経過し、また次の家を探すことになった。この頃には色んな事に慣れていて家なき子の恐怖感はなかった。
アルバイトをしていたお土産屋の近くに、経営者が日本人の食料品店があった。そこでは日本のビデオのレンタルや、旅行の手配、日本食品販売となんでも扱っていた。掲示板があり、「〇〇求」など張り紙をする事も許されていた。
ビデオてって思った?思ったやんな。あの頃はサブスクもなけりゃブルーレイもなかったんやでぇ。
その掲示板にあった「住んでいる部屋の引き継ぎ募集」の張り紙先に連絡し、お土産屋から歩いて5分の所に移り住む事になった。
初、一人暮らし。が、ここで2回目の体調不良に襲われた。熱が40度インフルエンザだったと思う。一人暮らしで、熱40度はキツイって。アイスノンもないし。しかもアルバイトは欠勤の場合、自分で代わりを見つけなければならない。
ヒーヒーしながら、当時のアルバイト同僚に電話してアルバイトに行ってもらった。
あとは寝るしかない。前にメニュエールになった時もしんどかったが、一人暮らしのインフルエンザは大変に心細かった。彼氏が食料品を買ってくれたので、なんとか生き延びた。
ここまで
ホームステイ3ヶ月
バス停姉宅6ヶ月
この一人暮らしは3ヶ月することになる。ワーキングホリデーは、一年間のビザだが、彼氏と離れたくないばっかりにビザを切り替え、観光ビザで後3ヶ月滞在することを決めた私。
観光ビザでは働けないので、仕事は辞めなければならない。元々大金があったわけではないので、さてどうするかとなった時、彼氏から提案があった。
「うちに住まない?」
実は彼は、船に住んでいた。
は?
は?やんな、わかるわかる。先にバンクーバーにはマリーナが多いと書いたが、そこに流れ込む川の一つに彼の船は停泊していた。
帆船だがエンジンも付いていて、海に出るまでエンジンで始動し、海に出たら帆を開き風でも運行できる船だった。トイレとシャワー、ミニキッチン、ダイニングテーブル、ベッドルーム2つ付き。凄く豪華なボートを想像されているかもしれないが、そうでもない。キャンピングカーが船になった感じと思ってもらいたい。
小さいながら冷蔵庫もあったし、テレビもあった。マリーナに船を置くと高いが、川は安いらしい。彼の船以外にも何船か常時停泊していた。
ここに来てボートに住む事になった千由。どこまで流されていくんや。
つづく。