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モラ録。19〜手紙②〜

決戦(話し合い)を終え、
離婚を決意したものの、
本当にそれでいいのだろうかと
暫くは葛藤する日々が続きました。

そんな中で、あの話し合いでは不完全燃焼だった事を全てぶちまけたいと思い立ち、
それを手紙に書いてモラ夫に渡す事にしました。


備忘録としてこちらに手紙の本文を残します。
(長文なので少し省略してます)m(_ _)m↓


《家に入るのは許可制で鍵ももらえず、夜は置いて行かれる…妻として惨めにかんじています。
私の存在ってなんなんだろうと思います。

お義母さんには感謝しかありません。
お義母さんのおかげで義実家でも気を張らずに過ごせています。ただ、毎日全く気を使わない訳ではありません。
そんな中、あなたは私の親とは一切会わない。
義妹さんは泊まりで実家に帰って来れるけど、
私は泊まりで実家に帰れない。
モヤモヤします。

夫婦の会話もほとんどなく、相談もなかなか出来ず、されず、夜には当たり前のように居なくなってしまう、そんな環境に疲れました。

私の意見や行動はほぼ否定され、ダメなところばかり指摘され、痩せてもデブ。

冗談や叱咤激励が混じっているのはわかります。けど、普段肯定される事が皆無の状態で常に否定され続けると冗談とわかっていても辛く、自分はダメなところばかりなんだと追い詰められます。

私は一緒に住めてない事をあなたに責める事が出来ないのに、あなたはなぜ私に怒れるんだろう?という気持ちがあります。

あなたはお義母さんを守るためにせん太は
モラ実家にいるんだと説明していますね。
私には体のいい嘘に聞こえます。

せん太や他人に対しては優しい言葉。
私やお義母さんに対してはキツすぎる言葉。
そのギャップで辛くなります。
あなた=怖いという感情がずっと消えません。

成り行きで今の状態になってしまった事、それを続けてしまっている事、私も反省しています。2人でもっと相談して決めなければならない事が沢山あると思います。

今の状態は異常です。

直接だと萎縮してうまく伝えられなくなってしまうので手紙にしました》



まだ完璧に洗脳が解けている状態ではなかった
ので、モラ夫に対して多少気を遣った文章になっています(^_^;)


今だったら

《クソ旦那、滅!!》


って筆ペンで殴り書いて終わりですね(笑)


この頃には私が実家へ帰省する事に対し、
一泊でさえモラ夫が嫌な顔をするため、
日帰りでしか行く事が出来なくなっていました。


また、モラ夫は私とせん太だけがモラ実家におり、自分だけがモラハウスへ帰る事の説明を

〝せん太はババ(義母)を守るために
ここ(モラ実家)に居るんだ、頼んだぞ〟

とせん太に言っていました。
私はこれを聞いた時、

反吐が出そうでした。


自分は嘘が大嫌いだと散々言っていたのに、
自分では平然と嘘をつく事。

自分の都合で一緒に住んでいないのに、
それを美談に改ざんして
子供に勝手に押し付けた事。

その茶番に強制的に付き合わされる事。

全てが不快でしかありませんでした。

モラ夫的には

〝別居状態なのは妻のせいだけど、
それを隠して妻の尊厳を守りつつ、
すごくかっこいい理由をつけた俺ってさすが!〟

とでも思っていたのかも知れません。


不謹慎である事は重々承知しているのですが、
この頃の私は様々なストレスと、
とにかくモラ夫や今の現実から離れたいとう気持ちから、仕事の行き帰りに1人で自転車に乗っていると、

〝このまま単独で事故を起こして入院できないだろうか〟

と常に考えるようになっていました。

もしくわ死んでしまえたら楽であろうか…、

だったらモラ夫が死んでくれたらいいのに…、

とも考えていました。

そしてそう思ってしまう自分はモラ夫なんかよりずっと酷い人間ではないかと悩み、
当時はとても苦しかったです。

のちにDVのトラウマケアの講座を受けた際に、
自身もパートナーのモラハラで離婚した
講師の方が

「元旦那が住んでいる家の近くで事故があった時に、被害者が元旦那ではないとわかると
あーなんだ残念!って今も思いますよ」

と明るく話して下さり、

あぁ、そう思ってるのは私だけじゃないんだ、
そう思ってもいいんだと、涙が溢れ、
とても心が軽くなったのを今でも覚えています。



渡した手紙については

「一方的な事言いやがって!」

とモラ夫に一言文句を言われただけでした。



これものちにDV相談でこの出来事をお話しした際に、相談員の方から

「手紙が一方的って…当たり前ですよね(笑)」

と言われ、
「そうです!そうなんですよ!」
とわかってもらえた事が嬉しく、笑い話になりました(^ ^)


離婚について葛藤し、毎日のモラハラに悩んでいた当時の私の心は、コップに入った水が表面張力でギリギリこぼれていないような不安定な状態でした。

そんな状態が続き、

手紙を渡してから約1ヶ月が過ぎた頃、

モラ夫が私のギリギリの心に

大きな爆弾を躊躇なく投入する出来事が

起きたのです。


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