続いてモラ家の浅すぎる歴史です。 モラ夫と2年ほどお付き合い ↓ 妊娠 ↓ 結婚 ↓ (※1モラハウスに引っ越すため、 掃除したり荷物を運ぶ) ↓ 出産 ↓ モラハウスへ引越し完了 モラ夫音信不通気味に ↓ ↓ 家族3人で暮らす ※2モラ実家に間借り Happy!(o^^o) (2〜3ヶ月の予定) ↓ 5年後別
離婚が成立した翌月から月1回、せん太とモラ夫の面会交流が始まりました。 せん太は毎月の面会交流日を楽しみにしています。 一方で〝父さんの事は好きだけど怖い〟と話しており、会っている時は怒らせないように〝物分かりの良い子〟になり、気を遣っている様子です。 私はモラ夫とせん太の関係を壊したいとは思いません。けれど、DVをしてきた父親を嫌って欲しい気持ちと、仲のいい親子でいて欲しい気持ちが絡み合い、とても複雑です…(~_~;) そりゃ月1回しか会ってなかったら優しくできるよ
先日、せん太が美容院デビュー。 カットが終わり鏡を確認して「ん〜後ろをもう少し切って下さい」「手で触ってみてもいいですか?」とこなれたかんじで話す小1に美容師さんも母もタジタジ&爆笑(≧∀≦) 後日、祖母には「俺、サロンに行ったんだ」と話し、オシャレ男子をアピールしてました(笑)
5月に取材していただいた記事が新聞に掲載されました(˶°口°˶) noteはモラハラの昇華、浄化、備忘録、トラウマケアとして書いてきましたが、それがなかったら自分の事が新聞に載るなんてきっとなかっただろうなぁと思います。 記事を読んで下さっている皆様、本当に感謝です。゚(゚´Д`゚)゚。
義妹の印象は 品が良く、周りに気遣ができて優しい人。 しっかり者で仕事も家事もテキパキとこなし、 物怖じせず、ハキハキと話す素敵な女性 というイメージでした。 義〝妹〟と言っても、 私の方が歳下だったので、 初めの頃は〝頼りになるお姉さん〟と 尊敬していました。 モラ夫についても 相談に乗ってもらったりもし、 義妹一家の帰省時には会える事を 嬉しく思っていました。 いろんな面で大変お世話になったと 今でも感謝しています。 しかし、ある時から 義妹と話しているとなんとな
せん太が雨予報0%のかんかん照りの日でも傘をさそうとするので母が「今日雨降らないよ」と言うと「日傘だよ!」との事。 学校の行きも帰りも1人だけ傘さしてる。 友達に会うたびに日傘だと説明してる。 小1にして母より美意識が高すぎて驚愕(´⊙ω⊙`)
自治体などが行っている弁護士の無料相談に いくつか出向き、最終的に実家に近い事務所の 弁護士さんにお願いする事にしました。 まず弁護士さんから言われたのは 今の何も決めていない状態で子供とモラ夫を会わせるのは連れ去りの危険があるのでやめた方がいいとの事でした。 そしてすぐに離婚調停の 申立てをしてもらいました。 最初の調停日は申立てをしてから約2ヶ月後で、 調停初日は鉢合わせないようにあえて時間をズラしたにも関わらず、入口でモラ夫の後ろ姿を見かけてしまい、心臓がバクバク
息子が〝Bling-Bang-Bang-Born〟にハマっていてネットで曲を検索して欲しいと言われるのだけども、母は何度聞いても全く曲名が覚えられず、いつも「え、〝ブンバボン〟だっけ!?」とお◯あさんといっしょの体操の曲を検索してしまうのですが、そんなのは私だけ…?( ̄▽ ̄;)
本格的別居前日のモラ実家での晩御飯はモラ夫が 買ってきたお寿司やご馳走でした。 最後の晩餐…?(ー ー;) ある意味私とせん太の門出ではありますが、 お祝い…ではないし、私はどういう感情で食べるものなのか謎でした。 食事の後、モラ夫から〝あとで話がしたい〟とのメールが入っていましたが、私はもう何も話す事はないし、話もしたくなかったのでそのメールをスルーして寝ました。 すると次の日の朝、 私が待っていく荷物の最終確認をしている最中にモラ夫が話しをしにやってきました。
《しばらく離れます。 モラハウスにもモラ実家にも住み続けるつもりはありません。 カウンセリング(DV加害者更正プログラム等)を受けて下さい》 モラ夫に置き手紙を残して私は帰省しました。 帰省してからすぐに警察に相談しました。 家出した事を知ったモラ夫が怒って何か危害を加えてくるかも知れないと怖かったからです。 警察の方からは ・夫の行為が明らかなDVである事 ・子供に手を出していなくても面前DV(虐待)になる事 ・警察の方からモラハウスが管轄である警察署や 児童相
私はDV相談窓口の電話で紹介された 近隣の男女共同参画センターへ向かいました。 そこは来訪者に配慮されたセキュリティに なっており、施錠されたドアのインターホンを 押す際には周囲の人に名前を聞かれないよう、 名乗らなくて大丈夫ですと言われていました。 中に入ると優しい雰囲気の部屋へ案内され、 ソファの好きなところに座って下さいと言われました。私の場合は2人の相談員の方が担当して 下さいました。 私は始め、藁にもすがる思いで自分はこれから どうしたらいいのか、離婚すべき
先日、とある新聞社様からモラハラについての取材を受けました。 初めは「これが噂の詐欺!?(;゚Д゚)」かと思いましたが、ちゃんと丁寧に取材していただきました! 掲載時期などまだ未定ですが、もしモラハラで悩んでいる方が少しでも良い方向に変われるきっかけになれたら嬉しいです(^ ^)
せん太を寝かしつけた後、 話があるというモラ夫のもとへ向かいました。 するとモラ夫が先日キレた事を謝罪し、 土下座をしました。 そしてカウンセリングを受けようと思っていると言ってきました。 私はモラ夫自らカウンセリングを受けると言ってきた事には驚きましたが、土下座については驚くほど何も感じませんでした。 私のそれまでの土下座のイメージは する方もされた方も相当な覚悟がいる事で、 とても重い行為だと思っていました。 それなのにこんなにも何も感じないのは何故なんだろう…と
手紙を渡してから約1ヶ月が経ったある冬の日、 せん太が熱を出しました。 ただ、とても元気があり、 その日は私もせん太も休みでだったので、 市販の薬を飲ませて暫く様子を 見る事にしました。 仕事へ行っているモラ夫へは 昼頃にメールでせん太の熱の事を伝えました。 すると夕方、 モラ夫から不機嫌な声で 電話がかかってきました。 モラ夫「帰ったら病院連れて行くから準備して」 恐らく、仕事終わりにすぐ電話をしてきたのだと思います。 モラ夫の職場からモラ実家までは バイクで15
決戦(話し合い)を終え、 離婚を決意したものの、 本当にそれでいいのだろうかと 暫くは葛藤する日々が続きました。 そんな中で、あの話し合いでは不完全燃焼だった事を全てぶちまけたいと思い立ち、 それを手紙に書いてモラ夫に渡す事にしました。 備忘録としてこちらに手紙の本文を残します。 (長文なので少し省略してます)m(_ _)m↓ 《家に入るのは許可制で鍵ももらえず、夜は置いて行かれる…妻として惨めにかんじています。 私の存在ってなんなんだろうと思います。 お義母さんには
3ヶ月待ち、もうこれ以上は待てない。 〝◯日の夜に必ず時間を作って下さい〟 モラ夫も私も次の日が休みで 予定も特にない日付を選び、 そうメールしました。 返信などもちろん貰えませんでしたが、 指定した日の夜、 私は自分の支度を終え、 子供を寝かしつけました。 そしてモラ夫が自分の支度を終え、 声をかけてくるのを別の部屋で待ちました。 深夜0時…1時…2時…。 モラ夫は起きているのに、私に声をかけてくる事をしませんでした。 そして物音で、モラ夫がモラ実家の 2階の空