モラ録。23〜手紙③〜
《しばらく離れます。
モラハウスにもモラ実家にも住み続けるつもりはありません。
カウンセリング(DV加害者更正プログラム等)を受けて下さい》
モラ夫に置き手紙を残して私は帰省しました。
帰省してからすぐに警察に相談しました。
家出した事を知ったモラ夫が怒って何か危害を加えてくるかも知れないと怖かったからです。
警察の方からは
・夫の行為が明らかなDVである事
・子供に手を出していなくても面前DV(虐待)になる事
・警察の方からモラハウスが管轄である警察署や
児童相談所にも連絡する事
・見守り対象として登録し、約1ヶ月後に様子を確認する電話をくれる事
・もし良い方向に解決したら見守りを解除するので連絡して欲しい事
などを伝えられました。
また、
・110番登録をするかどうか
・夫に直接注意するかどうか
を聞かれました。
110番登録とは、
登録した番号から110番に電話をかけると、
すぐ現場に沢山の警察官が駆けつけてくれる
システムとの事でした。
しかし、これは交通事故など別の事で
電話をかけた際にも発動してしまうとの事
だったので、それは少し困るかも…と思い、
お断りしました。
(110番登録をしなくても見守りとDV相談の記録はちゃんと残るとの事でした)
夫への直接の注意も、
警察へ相談した事を知った時のモラ夫の行動が
怖かったのでお断りしました。
そして上申書というものを直筆で書きました。
そこにはこれまでどんなDVをされたか、
いつ警察に相談したか、
警察との相談で決めた事などを
A4用紙2枚に書きました。
警察署に着いてから出るまでに1時間半くらいかかったかと思います。
まさか私の人生で警察にお世話(?)になる事があるなんて想像もしていませんでした(^_^;)
この数日後に警察から報告を受けた児童相談所から連絡があり、せん太を連れて面談に行く事になりました。
児童相談所でせん太は癇癪、暴言、暴力を発動し、職員の方に「これはDVの影響です」と
断言されました。
母親が父親に支配される姿を見続けてきた
辛い気持ちをずっと我慢させていたんだ…。
薄々感じてはいたものの、ハッキリ断言された
直後はショックでかなり落ち込みました。
あの時もっとああすれば良かったといくつも
後悔しました。
そして
〝このままではこの子は将来自分のパートナーにDVをする人間になってしまう、それだけは絶対に食い止める〟
私はそう心に誓いました。
それからDVにあった子供の事を調べまくり、
まず私自身が回復する事が子供の回復に繋がる事や、子供本人が体を動かす事が大切だと知り、今はそれらを実践している最中です。
子供との関係はその時々でうまくいったりいかなかったりで、様々な問題にぶち当たったりもしていますが、私も子供もモラ夫と過ごしていた時よりは、はるかに心が穏やかである事は間違いありません。
誰からも支配されたりしない安全、安心な環境で子供と心から笑い合える日々を大切にしたいと思っています。
ちなみに、
置手紙を読んだモラ夫がどうしたかというと、
ザ・無反応!\(^o^)/
なんとな〜く予想はしてましたが、
家出中の2週間、何の連絡もありませんでしたw
のちにモラ夫から
「家出中、お前は何の連絡もよこさなかった」
と言われ、
やはり私が悪い事にされていました\(^ω^)/
もう嫌だと子供を連れて出て行ったのに、
こっちから連絡するわけがないw
家出の理由も事情も聞かず、弁明するワケでもなく、ただ無言を貫き、連絡してこないアイツがオカシイってなる思考…。
狂気!!!:(;゙゚'ω゚'):
しかし、このままだと何も進展しないので、
仕方なく私から連絡し、モラハウス近辺のヨー◯ドーのベンチに呼び出しましたw
(DV相談員の方から話し合いの時は2人っきりになると危険なので、カフェやファミレスなど人のいる所でするようにとアドバイスをもらいましたが、モラ夫がカフェなどが嫌いなため、人通りの多いベンチにしましたw)
そこで、
モラ夫と共に住むのはもう無理なので私と子供は私の実家に引っ越す旨を伝え、
モラ夫にはカウンセリングを受け続ける事と
もうDVを一切しない事などを約束させました。
モラ夫は全てに「わかった」と答えましたが、
私は信用は出来ませんでした。
帰り道もさっさと別れたかったのですが、
何故か駅まで見送られ、
更には手を繋がれました。
なんでやねん!!!!!Σ\(゜A゜)
ついさっき離婚を視野に入れた本格的別居の話をしたのに、何故!!?パニック!!!(゚Д゚≡゚Д゚)?
〝別居は愛を確かめるためのちょっとしたスパイス☆〟だとでも思ってんのか!?
牽強付会がパネェ!!( ̄皿 ̄)
(この四字熟語初めて使いましたw)
しかし、ここで手を振り払ったら何をされるかわからない…。
私は恐怖で耐えるしかありませんでした。
数日後、私とせん太は諸々の手続きや最低限の
荷物をまとめるため、1度モラ実家へ帰りました。
そして次の月から本格的な別居が始まりました。
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