断捨離や片付けは、他人やAIに代行できない
家の中から「お宝発見」のコツ。
それは、高く売れるものが見つかることを期待しないこと!
一番のお宝は、「もうこれで処分しよう」と決められるものが見つかること。
不要なものを一つきちんと捨てれば、必要なものが一つ生きるようになる。
必要な物の上に、要らない紙がペラッと一枚乗っただけで、もうそれが見えなくなって、「失う」。
モノを減らした分、モノを動かせるスペースができる。これができないことには、整理のしようがない。ちょっとスペースが空いたからと、すぐに新しく物を買って、ここに入れたりしないこと!
2番目のお宝は、「これは使おう」と決めたものが見つかること。
既に持っていたものを活かせれば、出費を減らせることに繋がる。これが、結局はお金を増やす結果になる。
持っているものを活かせてはじめて、豊かで楽しくなる。
準2番目は、売却、人にあげるものを決めること。
売却は、労や時間がかかる、気を遣う。お金になることは期待せず、手続きや作業の面倒を払ってでも、捨てるよりは、誰かに使ってもらえるならそのほうがいいと思うものは、そうする。
売却で、購入時よりプレミアなど、ドラマチックな高値がつくこともなくはないだろうけど、そんなのは、転んで「大丈夫?」と声かけてくれた人が大谷翔平だったぐらい、稀なことだと思って、期待しないほうがいい。
仮にそれで高額が手に入っても、物の持ち方の感覚が変わらないままでは、またその金で物を買って増やしては、いつかお宝になるかもしれないと期待して、捨てられない「ガラクタ」化したもので、かえって損をしていく、マイナスの可能性のほうがはるかに高い。
「片付け」を、「なんだ家事か…」と、自分とは関係のない、代行サービスや主婦、AIにやらせときゃいいもののように考えている人間は多い。
めんど臭いだけで、そんなことしたって、1円も金が入るわけじゃないし…。
しかし、「片付け」と「掃除」は違う。
掃除機をかけたり、窓を綺麗に磨いたりというのは、業者やAIに代行可能なことが多いだろう。
でも、断捨離、片付けは、人生そのものなんだ。
これが代行可能と思っている人間は、自分の人生は、他人やAIが代行で生きてもらえるということと同義になる。
私は、休みの日に何をしたらいいのかわからない、ヒマですることがないということがない。
私の大好きなターシャ・テューダーさんの言葉に「私は、いつも何かしています。絵本や挿絵の仕事に疲れたら、マフィンを焼きに行ったり、洗い物をしたり、庭を見に行ったりします。家事に飽きたら、絵に戻ります」というのがある。
体がだるいとか、具合が悪くて何もできないとか、何をやってもなかなかうまくいかず、どうしたらいいのかわからない、やる気がなくなるということはある。
そういう時は、しっかり休む、ゆったり過ごすなどが大事で、これは「することがない」とはまるっきり違う。
片付けは見た目の問題じゃない。
素敵な北欧風のインテリアの家なら、片付いているというものじゃない。
広い立派な家でも、中が使われてないものばかりならゴミ屋敷だ。
「自分が持っているものを知り、要る要らないを判断しながら、要るものは使い、次に使う時のことを考え、置き場所を考え、必要のなくなったものはちゃんと処分すること。」
家にゲームが一個あったとして、それが「要るか要らないか」は、他人やAIが決められることじゃない。持ち主本人にしか判断できないこと。
こうした「片付け」をしていないと、自由を与えられれば、ヒマをぼやき、休みにすることがないと不満をこぼす症状になる。
一方で、他人は自分を支配、搾取するばかりで、「他」のせいで自分は不幸だ、不自由だとぼやく。
どうして「他」が自分を幸福にしてくれないんだ、「他」のせいで自分の人生は苦しいことばかりだという、自立の欠損した人間になる。
そして、「することがない」というのは、本当にすることがないのでなく、必ずやってくる、人生を失う時になって、できること、やりたいことはたくさんあったのに…という、取り返しのつかない後悔をすることになるだろう。
そして、noteでもそんな文章を見かけたことあるけど、片付けを先送りしてきた人間の遺族は、遺品という膨大な「負の遺産」に、心底迷惑することになる。
モノの多い現代、これはますます深刻な問題になる…
私が日々、小さな片付けを心がけるようにしているのは、遺族にそんな迷惑極まりないものはできるだけ残したくない、恥ずかしいし、何より、死蔵品だらけでなく、愛するモノたちに囲まれた生活が幸せだから。
片付けを日々心がけていると、いつもすることがある。
これは、忙しさにピリピリと追われ続けるのでなく、むしろ逆で、のんびりくつろげる楽しい時間が増える。
「他」にさせられるのでなく、自分のやりたいことが自然にどんどん生まれるので、充実する。充実は良質の疲労だから、睡眠の質が良くなってしっかり休める。
忙殺どころか、その真逆になる。
画像は、小学生の時から持っているゲームウオッチ。
これを、幾つも持っている子どもが普通だったけど、うちは、私と弟と、一つずつだった。
ちょっと他の家が羨ましいとも思ったけど、私は「浅く多量」が元々苦手なタチだし、少ないことで、普通にゲームするだけじゃなく、面白い遊び方を思いついた。
このドンキーコングJr.のゲームウオッチには、アラーム機能がついてて、3分後にアラームが鳴るようにセットして、一人がゲームウオッチを隠し、アラームが鳴り出したら、他の人間は、その音を手がかりにして、どこに隠したか見つけ出す「宝探し」ゲーム。兄弟でも、友達が来た時も、結構盛り上がった。
それで、ゲームウオッチを、地面掘って土に埋めたり、ずいぶんひどいこともして、おかげで傷だらけだけど、40年以上経った今もちゃんと遊べる。
うちに遊びに来た、子どもの友達も、確実に驚く!せっかくだから、うちにしかないコレで遊んでもらう。
この液晶のキャラクターが好きなんだよな〜
今は、ニンテンドースイッチでこのゲーム遊べるけど、この一枚は、なんか、今も愛おしいし、たまに遊ぶと相変わらず難しくて飽きない。
私にもし孫が生まれて、電池を飲み込む心配のない年齢になって、その時もこれが壊れてなかったら、遊ばせてあげたいね。
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