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03: 幸福・不幸の根を摘む-「いい」「悪い」を後にする
不幸は無くなった方がいいけれど、幸福は嫌だと言う声が聞こえてきそうです。
でも、無理なんです。
何故かって言うと、不幸の根と幸福の根は同じ一つの根なのですから。
信じられないと思うかもしれませんが、自分の考えを説明してみます。
日々の生活の中でいろいろな出来事が起こります。
そして、その出来事のひとつひとつに対し一喜一憂して生きているように思います。
簡単な例を使って見てみます。
例えば、「雨が降る」と言う出来事が起こりました。
その時、ひとそれぞれの背景に従って「雨が降る」と言う出来事を無意識のうちに評価する作業が行われます。
サイクリングで遠出を計画していた人にとっては望まれない雨になるでしょう。
逆に水がなくて田植えが出来ずに困っている人に取っては恵の雨と成るかもしれません。
ただ、「雨が降る」と言う事実そのものに、「いい」とか「悪い」の属性があるわけではありません。
意味が発生するのは、人が「雨が降る」に対して意味を与えた(評価した)時だけです。
以上は単純な例でしたが、実際にはもっと複雑な背景から評価されると思います。
評価(判断)を行う前提に、社会的・道徳的な背景が付加されることがほとんどですし、その人の過去の経験にも大きく影響されるでしょう。
上記の流れを整理してみます。
① 出来事が起きる。
② 自分(または他人)の価値観により①の評価を行う。
③ ②の評価により「幸福」または「不幸」になる。
皮肉った言いかたをすると
① 出来事が起きる。
② 自分で落とし穴を掘る。(自分のルールを適用する)
③ 自分が掘った落とし穴に落ちて泣く。(幸福や不幸になる)
となります。
実は、②や③は自動的に行われていると思うので、普通は①の変形バージョンが知覚されるように感じると思います。
① 「いい出来事」または「悪い出来事」が起きる。
この状態は、エメラルドシティーの中で緑色の眼鏡を掛け、エメラルドシティーは緑色の街だと信じていることと同じだと思います。
ここまでは現状について書きましたが必ずしもこの流れを通る必要は無いと思います。
その為には、②③を自動的に通過させないで、②が行われる前の時点で気づくことが必要になります。
もし、②の前の段階で立止まれるようになると②で自分が無意識に行っている「ルール」に気づけるようになると思います。
その場合には、裏表どちらかを選択する可能性が出てくるし、どちらも選ばない可能性も出てきます。
もし、どちらも選ばない状態のまま留まっていられるようになると緑色の眼鏡を外し出来事を見ることが出来るようになります。
もともと、出来事にはどんな色も付いていませんでした。
自分が行っていた色付けを止めれば、ありのままの出来事が目の前に現れて来るのだと思います。
実は、この状態が「タイトル」にある「幸福・不幸の根を摘む」で表現しようとした世界になります。
世界で起きる出来事に対する評価が無くなり、ありのままの現実が現れる世界なのです。