ライブ前にオザケン(小沢健二)推し歴について語りたい(後)
前編はこちら
そうして、フリッパーズ・ギター時代との違いに戸惑いつつも推しを続けていたら、じょじょに様子が変わってきた。
アルバム「LIFE」が発売されたのが94年8月。アルバムも、シングルカット曲「ラブリー」も大ヒットし、オザケンは世間に広く認知されるようになる。
首都東京はさておき、こちら地方では、フリッパーズ・ギター時代は「知る人ぞ知る」レベルだった。実際周囲のファンは私と兄だけであった。今よりもずっと東京と地方の格差があった時代である。これがソロとなりメジャーとなると、とたんにファンが増えた。
オザケンの歌はどんどんポップになっていった。世間がよく知るオザケンはこの時期のイメージだろう。
そして鈍い私もさすがに気がついた。ポップな曲調の中に潜んだ実は切ない歌詞に。
よく聴けば、
「痛快ウキウキ通り」
は、ぼっち男の妄想だし、
「ドアをノックするのは誰だ?」
は、略奪愛である。
そして
「ある光」
を聴いた時は、この人は死んじゃうんじゃないか❓️と焦りを感じた。幸い死にこそしなかったが、それからほどなくして表舞台から姿を消した。
2002年4月、4年の沈黙をやぶりアルバム「Eclectic」を発売した。過去のポップな曲調とは異なり、当時流行っていた、というと陳腐になってしまうがR&B風に聴こえた。勿論オザケンは流行りを意識したつもりはないと思うが、あまりの違いに中身がすり替わってるんじゃないか❓️と何度も確認したもんw
ただ、これはこれで非常にカッコよく、大好きだ。
この振り幅の広さもオザケンの魅力なのだ。
しかし私、この頃は人生史上最高に色々色々あって貧乏だったのに、よくCD買ったなあと、今回聴きなおして、あらためて思った。お金が無くてもw忘れずに好きでいた過去の自分を称賛したい。
ちなみに2010年にも、メディア出演こそ無かったものの全国ツアーを開催しているのだが、この時期の私は人生史上最高に忙しく、SNSも未発達な時代、その情報を知ったのは終わって暫くしてからだった…
いつの間にか帰国していたことを知ったのは2014年、16年ぶりにテレビ出演した「笑っていいとも」だったという、古くからのファンらしからぬ情弱ぶり…
あ、しかし、自己フォローだが、2012年に福岡パルコで開催された「『我ら、時』展覧会とポップ・アップ・ショップ」には行った。「うさぎ!」のTシャツがあまりに可愛かったので買ったがこの時は、オザケンは絵本作家に転身したのか…と思っていてすみませんでしたw
若い時は難しくて理解ができなかった歌詞も、この年になると自身の経験と重ね合わさり胸が熱くなる。
オザケンの凄さは、若い時から若者時代を越えた達観した歌詞が書けていたことだ。ふたたび日本に帰って来てくれて、美しい言葉を紡いでくれてありがとう。今私は、オザケン難民だった空白の期間を取り戻そうとしている真っ最中である。
オザケンは、アイドルにもビジュアル系にもハマらなかった私が夢中になった、たったひとりの雲の上の人なのだ。これまでも、これからも。
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