「疲れた」と声に出すことについて
毎週火曜10時~放映されているTBS系のテレビドラマ、「私、定時で帰ります」。以前、この本を読んだ感想をnoteに述べた。
この記事にも書いたように私はいつも定時で帰っていた。だけど、GW前あたりから急に仕事がバタつき始めて定時で帰れない日が増えてきた。今の部署に異動してきて5年目。仕事にも慣れてペースを掴んだことでここ1~2年は就業時間内に仕事を終わらせることができていた。
毎日ジョギングを行うように仕事をしていた私。だけどある日突然ピストルが鳴り、短距離走が始まったのだ。久々の残業生活に頭がついていっていないのか、noteに書いている短編小説の続きを考えたり、短いエッセイを書くパワーが足りない日が増えてきている……。
そんなときに出てくるのが「疲れた」、「しんどかった」という言葉。
この負のオーラをまとっている言葉を、あなたは一日に何回ほど口にしているだろうか。
私は月曜日から金曜日まで、平日だいたい家に帰ってきて、“ただいま”の次に続く言葉は“疲れた”、だ。
寒いときに「寒い」と言ったらもっと寒く感じる、なんて昔友人に言われたことがある。もし、どの言葉にもそれと同じ現象が起きるのならば、「疲れた」、「しんどかった」と言えば疲れや疲労が増すのだろうか。おそらく多分そうではない。
これらの負の言葉は口に出すことで多少なりとも心の中をリセットする効果があると私は感じている。
ではここでもう一つ質問。
あなたにはこの「疲れた」、「しんどかった」を面と向かって言える相手がいるだろうか。面と向かって言うものの別に答えが欲しいわけではない。ただ、この言葉を聞いてほしい。あわよくば、ねぎらって欲しいのだ。
「お疲れ様」のたった一言、それだけでいい。
「よく頑張りました」の一言、心がこもっていなくても構わない。
残念なことに私はこの言葉を今、家で言えなくなっている。
先程、帰宅して口に出していると述べたが、あれは誰もいない部屋に向かってのこと。強いて言うなら一日中留守番をしている、私の帰りを待っている、ソファーに鎮座したぬいぐるみたちに対して言っている。
以前、相方の仕事が切羽詰まっている時があった。帰ってきて、ダイニングテーブルに向かい合いスイッチが入った途端、仕事の話が掘り当てた温泉のようにどんどん湧き出てきた。といっても難しい内容もあってわからないことも多かった。ただ、大変だったことくらい、私にでもわかった。そういうときは相槌を打ち、「そうかー」、「大変だったね」を繰り返すのが私の常套句になっているのだけれどそれでも誰かに吐き出すことで相方は楽になるのだろうと思って聞いていた。
私の仕事が切羽詰まっていたときも、とりあえず想いをぶつけたくて相方に「疲れた」、「しんどかった」と言ったことがある。そして何があって疲れてしんどかったのかを吐き出したことがある。それを聞いた相方からの一言はこうだった。
「仕事、やめる?」
……そうじゃないんだな。
自分勝手かもしれないけれど、仕事をやめたい訳ではない。ただ、何が起きたのか聞いてほしかっただけだった。もしくはねぎらってほしかった。
それ以来、家で仕事の話は自分からしなくなったし、「疲れた」、「しんどかった」と家で言うことができなくなった。それが実は、ちょっと辛い。
「疲れた」、「しんどい」は時に悲痛な訴えや愚痴に聞こえるときもある。
だけど吐き出して誰かに聞いてもらうことで心のどこかがちょっぴり楽になることだってある、というのが私の考えなのだが、これを読んでいる皆さんはどのように感じているだろうか。
最後にふたこと、言わせてほしい。
「今週、疲れたー」
「今週、しんどかったー」
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