家族でランチが、大切に思える
来年は、
二男の息子、つまり孫が受験なので、
ラストチャンスかもしれない。
話の流れで、
みんなでランチしましょうと、
セッティングしたけれど。
色々なことが起こって、
本当に集まれることって貴重だと、
しみじみ思えている。
思い返せば、
受験の孫が生まれた時、
奇跡のようなことが起こった。
自分は、
いつものように早朝の4時ごろ起床して、
いつものように車に荷物を積んで、
そして、
父のいる福島へ向かった日。
「ただいま」とガラス戸を開けると、
父が寝ていた。
「どうしたの?」
ただ事ではないと直感。
「眩暈がするんだ、だから横になっていた」
千葉から3時間30分。
疲れたなんて言ってられないので、
隣町の総合病院へ、
父を乗せて車を走らせた。
休日だったので、
専門の先生は不在だったけれど、
脳のMRIを撮って、検査をしてくれた。
最近ではなかったけれど、
出血の形跡があって、
それで、
眩暈や頭痛がするのだとか。
父は、
歩けたし、会話も普通だったので、
先生も驚いていた。
「緊急ではないですが、手術を受けてください」
横浜の姉と連絡をして、
トンボ帰りで千葉へ連れて帰ることに。
役所に立ち寄って、
記憶が曖昧だけれど。
書類をいただいて、
実家で軽い身支度を準備して、
千葉へ向かって走った。
着いたら、
姉が来ていてくれて、
「お願いします」と託した。
その同じ日に、
秋田では孫が誕生したのだ。
夫が、「どうする?」と。
疲れてはいたけれど、
新幹線で寝られるので行きましょう。
翌日、
初めての孫に会いに向かった。
面会したら、
小さな小さな男の子だった。
やがて息子もやってきた。
その時の孫が14歳で、
来年は受験の準備になる。
受験は、
再来年だけれど。
あっという間の10数年間だった気も。
父は、2週間ほどの入院で出血を取り除いた。
一緒に暮らそうと考えたけれど、
お見舞いに来てくれた田舎からのマイクロバスに、
さっさと乗って帰省してしまった。
このことは、
以前にも触れている。
「自分が自分でなくなるから帰る」
確か95歳?だったか。
娘の自分たちは、
翻弄され続けたけれど。
最後の最後まで、
自分自身の意思で生きた人だった。
14年、
自分も年齢を重ねて今がある。
それでも、
息子家族とランチができることは、
本当に感謝の気持ちしかない。
大切な時間になるだろうか?
6歳と3歳の孫達も、
また成長しただろうか?
楽しみに待っている。
ありがとうございました。
*兄は、
手術を受けて、リハビリの生活になるのだろうか。